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普段は平穏だが、ときどき剥き出しになった断面から噴き出すように暴力性が出てくる、そういう家族だな…

家族が帰国して、一番仲良かった友達からのおみやげをどっさり持って帰ってきてくれた(本当にどっさり…)。物量に圧倒される。この人はこれがデフォルトなんよな。私が特別扱いなのではなく、誰にでもこういう人なのだった。しみじみ大好き。

俳句関連の人間関係はいまほぼ最高に近いんだけど、仕事関係の人間関係はまだしっかりと築けていなくて、ときどきアメリカの友達たちの明るさと悪意のなさを思い出しては泣きそうになっている。

でも短歌の人たちや純粋読者の人たちとちょっとお話できたのは楽しかったな。

前は賞などもらったらもう少し(作るものに)自信が持てたりするものだと思っていたが、全然そんなことはなくてまだ俳句部外者くらいの気持ちだし(部外者ではさすがにもうないかも)、しばしば指標迷子になるし、私はこれが良いと思って作ってるけどみなさんがどう思うかはちょっとわかりませんね…という気持ちがある

10人くらいまでの句会の司会、とか、言葉と遊ぶくらいのワークショップならできるけど、だれかを教え導くには力が足りないわ全然…と思ったのでした。

作っているときも評をしているときも、これが正しいのか正直よくはわからないというか、誰かに正しいって言ってほしいけどその評価すら疑ってしまうというか。もうちょっと自信ある人のほうが教えるのには向いている気がする。

二日間やった俳句のワークショップが終わった…!楽しかったけど反省点も多く、むずかしかった。そして全員に楽しんでもらえたかはよくわからない…どうだったのかな…。 ひとまず、何かを教えるには私って、知識が足りなすぎる…と思いました。

角川まじか…。(トランスジェンダーに差別的な本を出版するらしい)め、めちゃくちゃ嫌だ…。やはりどういう本を出版するかでその出版社に信頼がおけなくなってしまうところはある…。

ああ…キラキラした休日が終わっていく…またこの日のことを思い出すんだろうな…

先週末は旅行に行った。徳島と大塚国際美術館に行き、藍染め体験などもして楽しかった。
家族といるとその不自由さに逃げたくなるし(ただこれは誰といても最終的にはそうなると思う…)、一方ですごく安心することもある。

普段あまりたくさんの人と会うことがないので、句会やワークショップでいろんな人と会うのは緊張するけど楽しみだな。

たくさん絵を見て解説を読むと、最初めっちゃ入るけど途中から飽和してきてまったく頭に入らなくなってただ見ているだけになるの、あれは共通の現象なんだろうか(大塚国際美術館に行きました)

勤務を始めて2ヶ月目。完全に対人お仕事用人格が戻りつつある。いろんなことを考えながら細かい調整をするのは悪くないし、物事の答えが出て積み上げたことがぴしっと決まる瞬間があり、そういうのはちょっとだけ好きだ。あとやっぱりバラエティに富む他人がいて面白いなと漠然と思う。
それは一枚膜を引いて鈍感になってしまったということでもある。それを忘れないようにしたい。

賢い人にその人が見える世界を解説してもらうと、一瞬ときめく。しかし賢い人は全分野に渡り賢いわけではなく倫理的な面で意外とアウトだったり感情的には幼かったりもする。

眠ることそのものというより眠りに引きずり込まれる瞬間がとても好きなので、本当はその瞬間をうまく味わうために限界まで起きていたい。

風邪にしてもワクチン後にしても、自分の体というか感覚の変化がいつも興味深く、おおっおもしろ、と思いながらみている(もちろん本当にしんどいときはそれどころではないが)。苦痛ってほんとうに主観だな

いま自分の書きたいものが一般的によいとされる方向とは逆に行っている気もするが、とはいえ書いてみたいものは書いてみたいからな… 
作句量がいちじるしく減っている それはよくないところ。

とりあえず半年、来年4月までは働いて変わらなかったら転職を考えるべきだな…

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