生成AIでパレスチナ支援を表明するの件、
文化の面から見ると、
あれっすね、エドワード・サイードの「オリエンタリズム」の意味では批判になりますね。
サイードはまさにパレスチナ系アメリカ人で、白人社会に「アラブを勝手にメイクするんじゃねえ」って言って晩年までパレスチナ解放運動もした人で、
サイードの提唱した「オリエンタリズム」は、白人がアラブ文化を消費することのみならず、「どんな意図であれ白人(マジョリティ)がアラブをメイキングする過程そのもの」について批判した内容。この理論はその後の批評にも大きく影響を及ぼしている。
で、ここからは私見だけど、
正しくないものは将来を歪める。「一度盛ってキラキラにしちゃう」ことのデメリットは大きい。大日本帝国の大本営発表でも、戦況が悪いことをずっと隠して虚偽発表して、国民はそれに騙され「に行って」、「騙したい人と騙されたい人の悪いマッチング」が起こった。
写真の加工もフェイクではないのか?というのはもちろん議論になるだろうけど、いろんな結論から考えると、
キレイなAI写真で「あ、パレスチナはまだ大丈夫」と【騙されたい人】にものすごく便利ッスよねって批判はできる。
そこを逆手に取る悪い奴は絶対にいるので・・・
わたしは発達障害があって、こどももあって、
ショッキングな画像をみて、脳内で生々しく再現されてしまってパニックに陥る・・・という人がいるのを実感として知っている。だからSNSでもなんでも不用意にそういうものを見たくない・・・・
と、思っているのは、誰よりもガザやラファにいる人たちだろう。そこには定型発達者も非定型発達者もいて、等しくその恐ろしい「画」を見続けている。見れなくなったらその時は。
虐殺の画像が流れて一般の人がSNSに入れなくなるなら、それはイスラエルに加担するすべての国と権力者、そして無関心でいるすべての個人の責任。
虐殺をやめさせれば、おれたちがAI画像だSNSの使い方がどうだともめることも無いのだけれど。