てーか、
「個人レベルでは個性ではあり得る」、
「社会レベルでは障害であることが圧倒的」
という言い方になるかもかもね。
私個人としては、生まれつきの発達障害は私の個性の一部でしかあり得ないので、私の性格や人間関係の点から言えば「個性」、
しかし社会的システムに全く適応できないこと、また発達障害をオープンにした時の賃金の圧倒的な抑制は「障害」でしかあり得ない。
個人レベルでもわずらわしく障害でしかない、と思う人もいるだろうし、
障害を活かす、ないしは障害の知見で報酬を得ている人は社会的にも「個性」と呼ぶ人も(わずかでも)いるのかも知れない。
でも、このレイヤーを意図せず混ぜて話す人はいて、というか積極的に反転させて話す人はわるいひとだとおもいます!!
発達障害者に「ジョブズも発達障害だったんだよね」と言って広がらない話については、「大谷翔平も健常発達らしいよ」と言われたとして感じる「ふーん。」という手詰まり感と多分とても似ている(はず)