引用続き
承前)しかしそれでも私たちは、認識や権力や欲望の異なる体制のもとで、他のどのようなセクシュアリティにも入っていくことができたはずなのだ。私たちは、多少の疎外感や距離感をもちながらも、自由、喜び、充足を感じながら、他のどんな性の言語をも学ぶことができる。別のセクシュアリティ、欲望と快楽の別の生産体制を学び、発明することは可能である。この宣言は、セクシュアリティを言語と美学として考え、性の形式主義、再生産の機能主義、二元的な物の見方の規則などを乗り越えるよう呼びかける。カウンターセクシュアリティとは、私たち自身のセクシュアリティの異邦人となり、私たち自身の性のモノリンガル状態を脱自然化し、性的な翻訳作業のなかで自分自身を失い、自分自身を発明しようとする試みなのである。”