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私たちが内的に依存しているとき、伝統は私たちに大きな支配力を及ぼします。そして伝統の線に沿って考える精神は、新しいものを発見できません。順応によって、私たちは凡庸な模倣者、冷酷な社会という機械の歯車となります。【人生をどう生きますか?セクション1第4章第7節】

皆さんは、絶対に、いかなる理想、概念、信念ももってはならないのです。なぜなら、これらはすべて人間を滅ぼしてきただけで、問題の解決にはならなかったからです。

宗教的な生き方についてあれこれ思いめぐらすことでなく、快楽や不幸、あるいは人間を取り囲んでいるあらゆる条件を曇りなく見ることが、何よりも大切なのである。

あなたが知っているのはすでに終わったもの、完了したものである。あなたが知っているのは昨日だけであって、我々が問題にしているのは、あなたが知らないものからはじめて、そこから生きたらどうか、ということである。

私の心、あなたの心は過去のものの結果です。それは過去のものに基づいています。その思考は過去のものの結果です。それが時間です。

あなたが自分自身について学び、自分自身を見つめ、自分自身がどんなふうに歩き、どんなふうに食べ、どんなふうに語るかを見つめ、ゴシップや憎しみや嫉妬を見守る時に、そうした事をすべて自分自身の内部で自覚すれば、それは瞑想の一部となるのである。

思考は快楽に持続性を与え、そのような見せかけの持続性をわれわれは幸福と呼んでいるのである。

私たちは方式や、方式に基づいた観念や価値観の変革によって、社会の改革を期待しています。そして実は「あなた」と「私」が社会を作っていることや、私たちの日頃の生活態度によって、混乱や秩序が生まれるのだということをわすれてしまっているのです。

現にあるものこそはあるがままの現実であって、それ以外はすべて非現実的である。断片化をもたらすものは現にあるものではなくて、この非現実のものなのである。

あなたは自分自身を知れば知るほど、はっきりと物事が見えるようになってきます。自己認識には終わりというものがなく、目的を達することも、結論に達することもないのです。それは果てしのない河のようなものです。それを学び、その中に深く突き進むにつれて、あなたは心の平安を見出してゆきます。

あなたが何も知らない向こう岸、理知にたけた思考によっては補足できない別の次元から歩き始めてみたまえ。

あなたが知っているのはすでに終わったもの、完了したものである。あなたが知っているのは昨日だけであって、我々が問題にしているのは、あなたが知らないものからはじめて、そこから生きたらどうか、ということである。

思考は常に分離的なものであり、見るものと見られるものの間を時間と空間で分けてしまう。

あなたが自分自身について学び、自分自身を見つめ、自分自身がどんなふうに歩き、どんなふうに食べ、どんなふうに語るかを見つめ、ゴシップや憎しみや嫉妬を見守る時に、そうした事をすべて自分自身の内部で自覚すれば、それは瞑想の一部となるのである。

精神や心情が、教育や、社会によって定められた豊かな感受性を否定するような規範へ順応することで鈍磨させられてしまったように、我々の肉体もまた鈍磨させられてしまったのである。

自分自身を知るということは、行動している自分、つまり自己と他者の関係を知ることです。それが困難なのは、私たちがあまりに性急で忍耐がたらないからです。私たちは進歩を望み、目的に到達することを願うあまり、学び、観察している時間も余裕もないのです。

人生とは関係です。人生とは関係の中における行為です。私が関係を理解しないとき、あるいは関係が混乱しているとき、そのときに私はより豊かなの意味を求めるのです。【人生をどう生きますか?セクション1第7章第5節・自我の終焉より】

悲しいことに人は空しさをおおうために所有へのいたずらな努力を重ねるのである。そのような努力から支配欲と自己主張が生まれ、それはさらに空虚な言葉と、過ぎ去って決して戻ることのない物事への様々な追憶を伴うのである。

もしも新生(リニューアル)があれば、その時私たちは死を恐れません。もしあなたにとっての瞬間から瞬間への新生があれば、死は存在しないのです。しかし、あなたが思考のプロセスの継続を要求するなら、そこには死があり、死への恐怖があるのです。

私が自我を全体として完全に、すっかり見て取ることができた時にのみ、私は自我というものを理解し、そして自我から開放されるのです。

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