悲しいことに人は空しさをおおうために所有へのいたずらな努力を重ねるのである。そのような努力から支配欲と自己主張が生まれ、それはさらに空虚な言葉と、過ぎ去って決して戻ることのない物事への様々な追憶を伴うのである。#fedibird
技術的には、彼は月に行くこともできます。しかしそれは人間の問題を解決しません。また、たんに余暇を宗教や他の娯楽に使うだけでは、それを解決することはできません。教会や寺院に行くこと、信念やドグマ、聖なる書物を読むこと――これらは皆、実際は娯楽の一種にすぎません。【人生をどう生きますか?セクション1第5章第1節】#fedibird
あなたが今変わらなければ、将来も決して変わることはありません。というのは、明日起こる変化とは単なる修正に過ぎず、変換ではないからです。この変換は即時に行なわれます。革命は今であって、明日ではありません。#fedibird
関係や信念や行為のどこにも安定などはない。そしてそのありもしないものをを追い求めるがゆえに、我々はかえって周囲に無秩序をもたらしてしまう。#fedibird
思考は常に分離的なものであり、見るものと見られるものの間を時間と空間で分けてしまう。#fedibird
私たちが自分の生活を綿密に調査し、自他の関係を注意深く観察するなら、それらが他人に対して抵抗という壁を築く過程であり、私たちはその壁越しに他のものを見たり観察したりしていることに気づくのです。しかしながら私たちは常にこの壁を大切に守り、その背後に居座っているのです。#fedibird
あなたがどう生きるか、あなたが日々の生活をどう生きるかは、あなたの責任です。もしも世界の平和を望むなら、あなたは平和に生きなければなりません。互いに憎み合ったり、妬んだり、権力を追い求めたり、競争に明け暮れたりするのではなく…#fedibird
私たち個人の中に根本的革命を引き起こすためには、私たちと他のものとの関係の中で、私の思考や感情の動きの全体を理解しなければならないのです。これが、私たちのすべての問題に対する唯一の回答なのです。#fedibird
数多くの断片をまとめて一個の全体にまとめあげることによっては英知は生まれない。#fedibird
昨日、あるいは数多くの昨日からなる過去すなわち思考が、『私が前に感じたような幸福な状態にいつまでもいたい』と言うわけである。あなたは死んだ過去を現在によみがえらせ、それが明日なくなるのではないかと恐れているのである。こうして連続性の鎖が作りあげられる。#fedibird
あるがままの現実を快や苦痛を交えずにあなた自身の目でじかに見ることが必要である。自由とはそのようにひたすら見ることであり、そのように見ることが自由なのである。そして自由であってはじめて、あなたは曇りなく見ることができるのである。#fedibird
現にあるものこそはあるがままの現実であって、それ以外はすべて非現実的である。断片化をもたらすものは現にあるものではなくて、この非現実のものなのである。#fedibird
注意力とは明澄さであり、あらゆる思考をはさまない澄んだ直覚に他ならない。思考は常に死んだ過去に根ざしているから、決してそのような明澄さをもたらすことはできない。それゆえ思考は無明の闇の中の行為なのである。そしてこのことに気づくことが注意力の働きである。#fedibird
目覚めた精神、内から燃え上がる精神にとっては、どんな種類の働きかけも不必要である。#fedibird
何が真実かを問うかわりに、虚偽の中の見せかけの真実を否定し、虚偽として否定し去ること、これこそは思考から自由な精神のとる即時的な行為なのである。#fedibird
自分を実現したいという欲望があるときにだけ、死への恐怖があるのです。なぜなら、自分を実現するには時間が、長寿が、継続がなければならないからです。しかし、もし瞬間ごとに自分を実現することができるなら、あなたは死を恐れないのです。#fedibird
我々人間は皆、夢中になれる何らかの玩具を持っている。その玩具がある時は我々は平静でいられると考えている。だが、学問や文学その他の知的活動に専念する時には、その玩具はただ心を夢中にさせるだけであって、心を真に平静にすることはできない。#fedibird
私たちは私たちの中の空虚を知識で、儀式で、噂話で、会合で…無数のやり方の逃避で充たそうとする。#fedibird
我々が真に孤独になれるのは、問題に直面したら問題を明日にひきのばさないでその場でそれを解決する場合である。それ故、多くの人がいる家の中にあっても、バスに乗っていても、孤独になる事ができるのである。この孤独が常に新しい心、天真爛漫な心を示しているのだ。#fedibird
瞑想は、あらゆる思考、あらゆる感情を自覚することであって、その善悪を断定しないでただ見守り、それと行動を共にすることである。#fedibird
インドの宗教家、哲学者クリシュナムルティ(1895-1986)の珠玉の言葉をお届けします。1日に4回、時に沈黙、時に暴走。09年よりTwitterにてご愛顧賜っていましたが、23年7月にapi接続不可になりました。23年1月よりfedibirdにお世話になっております。当初はIFTTTにて連携していましたが、23年4月、自動投稿プログラムを作り運用始めました。24年12月 X でも再開しました。
書籍をお求めの節は→ https://x.gd/E8UII