重要なのは人生のゴールが何かではありません。自分の混乱を、みじめさ、恐怖を、そして他のすべてを理解することです。私たちは混乱を理解せずに、ただそれを取り除きたいと思うのです。リアルなものはここにあるのであって、彼方にあるのではありません。【人生をどう生きますか?セクション1第7章第3節】#fedibird
精神がいかなる解答も結論も求めず、抵抗も回避もせずに静止した時、その時にのみ新生が起こりうるのです。なぜならその時、精神は真理であるものを知ることが出来るからです。そしてあなたを解放するのはこの真理であって、自由になろうとするあなたの努力ではないのです。#fedibird
思考は新しい事実を見出すことができない。新しい事実は後になってから思考によって言葉の上では理解されるが、その理解は思考にとって現実ではない。#fedibird
「私」は記憶の束です。それは時間であり、単なる時間の継続は、あなたを時間を超えた永遠なるものへと導くことはありません。#fedibird
皆さんは、欲望がどんな混乱を世界に引き起こしてきたか見ようとしません。個人的安定、自分の達成、成功、権勢、地位、威信への願い。自分がすることすべてに全責任があるということを感じていないのです。#fedibird
心が単純な時にだけ複雑なものが理解される。#fedibird
あなたが知っているのはすでに終わったもの、完了したものである。あなたが知っているのは昨日だけであって、我々が問題にしているのは、あなたが知らないものからはじめて、そこから生きたらどうか、ということである。#fedibird
善良であることと善良になることとは別々の事柄である。善性の開花とは善良になることではない。善良になるというのは、善良であることを否定することである。「よりよくなる」という考え方は、あるがままの姿を腐敗させてしまうのである。#fedibird
無知は自己のありようについての理解の欠如です。そしてこの無知は表面的な活動や改善によって一掃することはできません。それはあらゆる関係における自己の働きと反応への不断の気づきによって一掃されるのです。#fedibird
あなたがどう生きるか、あなたが日々の生活をどう生きるかは、あなたの責任です。もしも世界の平和を望むなら、あなたは平和に生きなければなりません。互いに憎み合ったり、妬んだり、権力を追い求めたり、競争に明け暮れたりするのではなく…#fedibird
精神を、意見や、あれこれの他人に対する見方、印象、あるいは書物、観念といったもので充満させておいてよいものだろうか。なぜ精神を空しくしておかないのだろうか。精神があっけらかんとしていてはじめて、はっきりとものが見えるようになるのである。#fedibird
目覚めた精神、内から燃え上がる精神にとっては、どんな種類の働きかけも不必要である。#fedibird
政治的、宗教的、経済的に、いかに入念に制度を築こうと、私たちの内なる意識が全面的に秩序だっていないかぎり、その無秩序は、常に外部を圧倒してしまうことでしょう。#fedibird
私たちは方式や、方式に基づいた観念や価値観の変革によって、社会の改革を期待しています。そして実は「あなた」と「私」が社会を作っていることや、私たちの日頃の生活態度によって、混乱や秩序が生まれるのだということをわすれてしまっているのです。#fedibird
私たちはこうありたいと思っている自分ではなく、あるがままの自分を知らなければいけません。こうありたいと思っている自分とは、単なる理想であり、架空の非現実なものなのです。変革することができるのは、あるがままのものだけであり、こうありたいと望んでいるものではないのです。#fedibird
無知は自己のありようについての理解の欠如です。そしてこの無知は表面的な活動や改善によって一掃することはできません。それはあらゆる関係における自己の働きと反応への不断の気づきによって一掃されるのです。#fedibird
理知はわれわれ人間の問題を何ひとつ解決することはないであろう#fedibird
無知は自己のありようについての理解の欠如です。そしてこの無知は表面的な活動や改善によって一掃することはできません。それはあらゆる関係における自己の働きと反応への不断の気づきによって一掃されるのです。#fedibird
我々は、絶望と希望、恐怖と快楽、愛と憎悪という果てしない対立物の陥穽にはまっているのである。そうした対立物が我々の生を満たし、生の闘いを引き起こすのである。こうした対立物は同じ根から生えている二本の枝であって、根本においては同じものなのである。#fedibird
我々は常に観念と行動を分離して考えるが、これは観念が常に過去のものであり、行動が常に現在のものであるからだ。つまり、生きることは常に現在であるからだ。我々は生きることに恐れを抱いており、それ故、観念としての過去は我々にとって重要なものになってくるのだ。#fedibird
インドの宗教家、哲学者クリシュナムルティ(1895-1986)の珠玉の言葉をお届けします。1日に4回、時に沈黙、時に暴走。09年よりTwitterにてご愛顧賜っていましたが、23年7月にapi接続不可になりました。23年1月よりfedibirdにお世話になっております。当初はIFTTTにて連携していましたが、23年4月、自動投稿プログラムを作り運用始めました。
書籍をお求めの節は→https://stonedpc3.wordpress.com/