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愛と正しく考えること(ライト・シンキング)だけが、真の革命、自己内部における真の革命をもたらすでしょう。【人生をどう生きますか?セクション1第4章第8節】

愛と美を分かつことはできない。愛がなければ何の美もなく、両者は不可分に結び合っているのです。

過去を現在に持ち越したり、過去に照らして現在を解釈していては、現在が持っている生きた美しさをとらえられない。

人は善であろうとして努力するが、その善の中にその対立物たる悪が存するのだ。断言的なことはすべてその対立物を有しており、何かを克服しようとする努力はそれが求めているものとは逆のものを強くさせてしまうのである。

関係や信念や行為のどこにも安定などはない。そしてそのありもしないものをを追い求めるがゆえに、我々はかえって周囲に無秩序をもたらしてしまう。

ナショナリズムは、宗教が人間を分割するのと同じように、人を分割します。そしてこの国家主義の精神と宗教的な信念が人を分離させ、互いに反目させるのです。【人生をどう生きますか?セクション2第1章第5節】

生きた心は静かな心であり、生きた心は中心も空間も時間も持たない心である。こうした心は無限の拡がりを有しており、それは唯一の真理、唯一の真実である。

全的で、実り豊かな変革は、あなたや私が自分自身を一つの全的なプロセスとして理解するのでなければ、起こりえません。あなたや私は孤立した個人なのではなく、幻想や空想との、快楽や権力・名誉、安全などの追求、無知、葛藤、みじめさとの、人類の全苦闘の結果なのです。【人生をどう生きますか?セクション1第1章第7節】

瞑想とは時間を超越することであり、時間とは何かの成就をめざして思考が旅する距離である。

所有物は、われわれがそれらを所有する以上にわれわれを所有してしまう。城、家、絵画、書物、知識―こうしたものが人間の存在よりもはるかに大きな重要性を帯びてくるのである。

あなたは「しなければならない」「してはならない」という学校で育てられ、それによって思考と感情を破壊してきたのです。あなたはシステムや方式、教師たちによって縛られ不具化されてきたのです。だからそれらすべての「しなければならない」「してはならない」を捨てなさい。【人生をどう生きますか?セクション1第4章第4節】

反抗とは何かに対する反応であり、反発することであって、それはそれ自身の制約作用によって自縛状態を招くだけである。どの世代も過去の世代に制約されているので、単に制約条件に反抗するだけでは、すでに制約され条件付けられた精神を自由にすることはできない。

権威は、それが信念や伝統の権威であろうと、あるいは道徳と呼ばれている習慣によるものであろうと、どれも邪悪なのである。

思考は時間です。思考は記憶、知識、経験であり、知識と経験が脳に記憶として貯えられているのです。そして、それは時間の結果です。知識の増殖、知識の広がり、知識の深さは時間のものです。

あなたが単純になればなるほど微細なものが偉大であることに気付く。

安定―あらゆる種類の安定―に基づいた道徳に依拠している人々は道徳的ではありません。なぜなら、安定願望は恐怖の結果だからです。私たちが道徳と呼んでいるものは恐怖と強制であって、実は少しも道徳的ではないのです。

この憎しみの世界は私たちの親の世代、先祖、そして私たちによって創り出されたものです。そういう訳で、無知が過去から果てしなく続いてきたのです。それは自然に生まれたのではありません。それは人間の無知の結果、歴史的なプロセスです。

われわれはあらゆるものから自分自身を分離させ、しかる後に、その孤立したところからあらゆるものに目や耳を向けるのである。そのような分離こそは、あらゆる葛藤や混乱の温床であり、それゆえきわめて破壊的なのである。

思考は新しい事実を見出すことができない。新しい事実は後になってから思考によって言葉の上では理解されるが、その理解は思考にとって現実ではない。

あなたが自分自身について学び、自分自身を見つめ、自分自身がどんなふうに歩き、どんなふうに食べ、どんなふうに語るかを見つめ、ゴシップや憎しみや嫉妬を見守る時に、そうした事をすべて自分自身の内部で自覚すれば、それは瞑想の一部となるのである。

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