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無知は自己のありようについての理解の欠如です。そしてこの無知は表面的な活動や改善によって一掃することはできません。それはあらゆる関係における自己の働きと反応への不断の気づきによって一掃されるのです。

欲望は、思考がイメージを作り上げるときに起こるのです。それが欲望の源なのです。それ以前に欲望はないのです。

あなたは自分自身を知れば知るほど、はっきりと物事が見えるようになってきます。自己認識には終わりというものがなく、目的を達することも、結論に達することもないのです。それは果てしのない河のようなものです。それを学び、その中に深く突き進むにつれて、あなたは心の平安を見出してゆきます。

「こうあるべきだ」とされるもののこの模倣が、恐怖を育み、そして恐怖が創造的な思考を殺します。恐怖は精神と心を鈍らせ、私たちは人生の意味全体に対して鋭く目覚めていることができなくなります。私たちは自分自身の悲しみに対して、他の人たちの微笑や惨めさに対して鈍感になるのです。

日々の生活と瞑想、宗教生活と世俗の生活との間に区別はない。そのような区別は見る者が時間に縛られているときだけ生じる。そしてそのような区別の中に混乱や不幸が生まれる―それが我々の社会の実情なのである。

思考は時間です。思考は記憶、知識、経験であり、知識と経験が脳に記憶として貯えられているのです。そして、それは時間の結果です。知識の増殖、知識の広がり、知識の深さは時間のものです。

意見というものはどれほどよいもので、筋道立っていても、それは真実ではない。意見は常にその当人の属している文化や受けた教育、知識によって偏り、色づけられている。

悲しいことに人は空しさをおおうために所有へのいたずらな努力を重ねるのである。そのような努力から支配欲と自己主張が生まれ、それはさらに空虚な言葉と、過ぎ去って決して戻ることのない物事への様々な追憶を伴うのである。

技術的には、彼は月に行くこともできます。しかしそれは人間の問題を解決しません。また、たんに余暇を宗教や他の娯楽に使うだけでは、それを解決することはできません。教会や寺院に行くこと、信念やドグマ、聖なる書物を読むこと――これらは皆、実際は娯楽の一種にすぎません。【人生をどう生きますか?セクション1第5章第1節】

あなたが今変わらなければ、将来も決して変わることはありません。というのは、明日起こる変化とは単なる修正に過ぎず、変換ではないからです。この変換は即時に行なわれます。革命は今であって、明日ではありません。

関係や信念や行為のどこにも安定などはない。そしてそのありもしないものをを追い求めるがゆえに、我々はかえって周囲に無秩序をもたらしてしまう。

思考は常に分離的なものであり、見るものと見られるものの間を時間と空間で分けてしまう。

私たちが自分の生活を綿密に調査し、自他の関係を注意深く観察するなら、それらが他人に対して抵抗という壁を築く過程であり、私たちはその壁越しに他のものを見たり観察したりしていることに気づくのです。しかしながら私たちは常にこの壁を大切に守り、その背後に居座っているのです。

あなたがどう生きるか、あなたが日々の生活をどう生きるかは、あなたの責任です。もしも世界の平和を望むなら、あなたは平和に生きなければなりません。互いに憎み合ったり、妬んだり、権力を追い求めたり、競争に明け暮れたりするのではなく…

私たち個人の中に根本的革命を引き起こすためには、私たちと他のものとの関係の中で、私の思考や感情の動きの全体を理解しなければならないのです。これが、私たちのすべての問題に対する唯一の回答なのです。

数多くの断片をまとめて一個の全体にまとめあげることによっては英知は生まれない。

昨日、あるいは数多くの昨日からなる過去すなわち思考が、『私が前に感じたような幸福な状態にいつまでもいたい』と言うわけである。あなたは死んだ過去を現在によみがえらせ、それが明日なくなるのではないかと恐れているのである。こうして連続性の鎖が作りあげられる。

あるがままの現実を快や苦痛を交えずにあなた自身の目でじかに見ることが必要である。自由とはそのようにひたすら見ることであり、そのように見ることが自由なのである。そして自由であってはじめて、あなたは曇りなく見ることができるのである。

現にあるものこそはあるがままの現実であって、それ以外はすべて非現実的である。断片化をもたらすものは現にあるものではなくて、この非現実のものなのである。

注意力とは明澄さであり、あらゆる思考をはさまない澄んだ直覚に他ならない。思考は常に死んだ過去に根ざしているから、決してそのような明澄さをもたらすことはできない。それゆえ思考は無明の闇の中の行為なのである。そしてこのことに気づくことが注意力の働きである。

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