高齢者と呼ばれる年域の人と話してるとよく出てくる概念として「畳の上で死にたい」があるんですけど、それの類似概念として「健康を維持しつつ老衰で苦しまず眠るように逝きたい」があって、それらを願うことは別に普通のことだからいいんですけど、話聞いてるとどうも「今まで真面目にきちんと暮らしてきた評価として自分にはそれが与えられるべき」みたいなことらしいんですよね
生前どんな悪辣な所業をしてきた人間でも条件が揃えばそういう安らかな最期を迎えることはあるし、逆にどれだけ人に優しく親切に謙虚に生きてきても不本意な環境や苦悶苦闘の果てに亡くなることは普通にあって、なのに通信簿的な要求でしかも細かいのはなぜなんだろうなと思う
まわりの高齢者のキリスト教徒、死に至る経緯とかあんまりそこまで重視してなくて「神様のもとに行く」ことだけが最重要っぽいのでめんどくさくなさそうでいいなとも思う とにっかく神様のもとが大事 あとこういう話での相違点としては火葬をおそれている 火葬か鳥葬なら歯噛みして鳥葬らしい 日本では焼いた後の骨を二人一組になって箸でこう……って言ったら「食べるの!?」って怯えてた 食べません 「ごめんなさいね、でも日本人ってなんでもおいしく料理して食べるから……」 それはまあ、なんでもおいしく料理して食べます。