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『クイーンズ・ギャンビット』の、っていう前置き付きでアニャ・テイラー=ジョイについて書かれた記事で彼女のことを「(いわゆる)女性が支持する美女/女ウケのいい美しい女」みたいに書いてた人がいて(日本語訳とはいえ、かつそのライターが男性だったか調べずにそのまま忘れたんですけど)「つまりまあ(こっちからしたら)好みじゃないんだけどさあ」感がすごくて瞬時にむかつけて凄かった 

自分の受け取れる美しさの種類が少なかったり範囲が狭かったり古かったりすることをドヤるな、という怒りとか呆れとかです。

そもそもこの人のスカウトされた時のエピソードを鑑みるに、明らかに「今後世界に対してこの新しい美しさを提示する」みたいな役割として発見されてるんですよね

人は変化を嫌うけど、新しい美しさに敏感な人々というのはいて、でも新しい美しさっていうのは今のところ「顔のパーツの立体含む新しいまとまり方」「顔のパーツの立体含む新しい散らばり方」の2種類に大別されていて、次から次へと出てきて面白いなあと思う

この次の「顔が顔でなくなる」「顔そのものではない」「顔に意味がない」の段階のことわりと楽しみにしてる。

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