「悪意」は動機を指し「害意」は意図だが、この二つの日本語は日常ではほとんど区別されないので実質的に同義語だと思っていい。
動機や意図と、行動そのものの結果は別個のものであって、重要なのはあくまでも行動が自分に不利益をもたらすかどうかだ。人間の悪意や害意の有無はあまり関係がない。
何なら動機と実際の行動が噛み合ってないのが日本人のデフォルトだと言ってもいい。
あと行動の意図が分かる人間からするといちいち人の動機に意識を向ける必要がない。ただお気持を察させる文化なので行動そのものよりも動機の方が重要になる。
「敵意」は人間に向けられるまなざしのことだが、なぜか多くの人は誰もが一目で分かるような思わせぶりな振る舞いを指す言葉だと勘違いしているうえに、対処法を間違えている。そういうのはその人が実害のある行動をしていない間はスルーして、普通に接するのが正解。こちらが一向に敵意を見せず悪意のある行動もとらない普通の人間だと気づいていくうちに、ひとりでに毒気を抜かれて中立的な態度に戻る。日本人と接するときは誰がどうとかいう話にしてはいけない。ただ行動にのみ着目して随時対応していけばいい。
あと事実誤認に基づく噂の発信源となるアホは自分の預かり知らぬところで人間関係を破壊するから早めに対処しなければいけない。人の勘違いをすぐに訂正しないでいると思わぬ方向に話がこじれる。
嘘も百回言えば真実になるとはゲッベルスが大衆心理について述べた言葉だ