極右だとか独裁者だとかに希望を賭ける人はいようが、個人的にはそれは希望を賭けているのではなく「諦めている」のではないかと思うのだよな。
諦めているわけではないのだとすれば、働かされすぎ、貧しくさせられすぎ、というかキツい現実を少しでも変えるのではなく少しでも忘れろと言われすぎ、ということなのだと思う
とはいえキツい現実と戦え、少しでも変えるようにいつもファイティングポーズをとれ、というのもまたキツい話ではある。できるかぎりでいいのだけれど、まあ「ふつうの人たちの感覚として推奨されてること」はそんなことをする余裕があったら金を稼げ、ツラい現実を少しでも忘れ「経済を回す」べくできるかぎり娯楽と浪費にいそしめ、というものなのだろう。
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