「左派の利権」という認識は中途半端に左寄りの人間でも(というかむしろそういう人ほど)陥りやすい誤解なのよな。ただ局所的にそういう人が多いからで、世の中全体を見ると基本はそう認識してない人のほうが多かろうけど右寄り、右派の利権のほうがまかり通ってるのは最近の流れを見てなくてもわかる。

上の世代が左寄りなのでそう思ってしまう人が多い、というのも発想としてありがちだけど、さらに上の世代は右寄りの人が多かろうし。でもこういう誤謬に陥りがちなのは、特定の世代独特の理由だろうけど「教わった先生が左寄りで、左翼的なところを見せつつも自分たちを力で抑えつけ管理してた」みたいな記憶に拠るのかなぁという気はする。

その記憶も自分はなくもないのだけど、ただその先生がたの言動を思い出すとそこまで左寄りだったかなぁ、むしろ右寄りの「ふつうのひとたち」っぽくはあったのではないかなぁ、と感じてしまう。
というかひと世代分でも左寄りであろうと、その後の教育現場や世の中が左寄りにはならずにけっこうずっと右寄りに傾いていったことを以て、「左派の利権」なんてものがなかったか、あったとしても(ある意味残念ながら)局所的でささいなものか、そう見えていただけのものだったのでは、と言わざるをえないんだよな

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こういう「上の世代が左翼だったけどろくでもなかった」という話、「大層な御題目を振りかざすただの俗物だった」という話とセットで語られがちな気がするので、自分は「ぼくの魂を救ってくれなかったサヨクへ」言説と勝手に呼んでる。

「大層な御題目を唱えるのが俗物だったから理想を(大層な御題目だとして)信じられなくなった」というのはわからんくもないけど、それで理想を語る人間がすべて俗物であるとか、開き直って俗物として生きていくのが妥当、と思うようになるのは早いと思うし、さすがに今の世の中に「理想を語るのはバカのする事で、自分の得することだけして長いものに巻かれるのが賢い」みたいなサムいやつらがのさばる理由がこれだけとは思えないのよな。

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