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京アニの事件 

私は正直この事件に気持ちの悪さをずっと感じている。犯人というよりは、周囲の、というか京アニファンの反応に何か薄気味悪いものを感じている。(これを自覚したのは、藤本タツキ氏の「ルックバック」で描かれていた事件が、京アニ事件に似ていると話題になった時だった)。
自他境界の薄さと言えばいいのか、事件の取り扱い方について、必要以上に事件を私物化しているように感じている。もちろん自分にとって重要な作品が作られた場所で、凄惨な事件が起きたとなれば、そのショックは計り知れない。だが、なんだろう、その衝撃が「おれたちの」に変換されてしまっているような気がする。好きで、期待を裏切らないでいてくれるものに対して使われる「おれたちの」。この事件も「おれたちの」になっている。本当はそんなふうにシェアされるようなものではないような気がする。望むと望まざるとに関わらず、コンテンツと同じように事件も消費のサイクルに組み込まれてしまったような感じだ。
この「私物化」の気持ち悪さと、死刑制度に対する反応に対する気持ち悪さ(吐き気がする、の方)は結構自分にとって近い場所にあり、しんどい。

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