皮肉なのは、中選挙区制において社会党が政権を取れなかった(あるいは取り損ねた)理由のひとつが、中選挙区の複数候補者擁立の困難だった。小選挙区を積極的に推し進めたのは、どちらかといえば、当時「メディア」を押さえ、いわゆる「リベラル」とされていた筑紫哲也などのタレント/司会者/コメンテイターだったのは、当時彼らには「構造的な」困難に見えていた政権獲得への障壁を取り除くという意図があったのだろう。だろうと書いたが、二大政党制を通じた票の集約は公言されていたので、だろうもくそもない。
今時の若い人たちからすると、(東京など一部の選挙区を除くと)旧民主党(=事実上、社公民路線の後継組織)だけではもはや当選はおぼつかないのであるから、なんで票を足さないのだということになるだろうが、おっさんたちからすると、あの選挙協力はほとんど奇跡のような危ういバランスで成り立っていたことは認めざるを得ない。不可能が一瞬だけ可能になったと言うべきだろう。