社会的な原因もあって音楽全般、ことに有名ミュージシャンの大半に対する幻滅を深め続ける数年間だったと思う。
歌ってものに僕は歌い手の人となりとか、瞬間的じゃなくもっと根深い持続的な思いまで聴こうとしてしまう。
だから決定的な問題を感じたミュージシャンの曲はほとんど聴けなくなる。
そんな一種の過敏さも相まって、こよなく愛した曲をいくつもいくつも失ってきた。
ばっさり失った曲もあれば、これというきっかけがなくても静かにフェードアウトした曲もたくさん。
だからって僕が聴きたい曲がことさら思想的な曲なのかといったら全然そうでもなくて。
芯の通った人や、一見そんな柄じゃなくとも発露される言葉が決して人を踏みにじらない人々、の紡ぎ出すなんてことないラブソングだったりするんだけど。
とはいえ幻滅が多すぎると新しい曲やミュージシャンに対しても懐疑的になる。期待値は下がり、一方で感受性の入口がどんどん狭く、高くなっていく。
だからこそ今年かな、それとも去年だったか、羊文学を知れたことは僕にはとても大きかった。じっくり聴ける新しい音楽を久しぶりに得た気持ちだった。
音楽をじっくり聴けないって現象にはいろんな理由があると思う。
それは必ずしも自分の内側から、ことに錆びつきや衰えからばかり起きることじゃないかもしれない。