比喩表現の危うさ 

テロや地雷やトラウマを比喩に使うのは避けるべきだって議論はたびたび目にするし、意識するのはいいことだと僕も思う。
ただ、比喩という表現形式が元来はらんでいる暴力性みたいなもののことも考えざるを得ない。

つまり「これはアウト」というコンセンサスができて表現の場から実質的にはじき出されたもの以外の比喩も、かなり多くが問題含みだと思うってことだけど。

たとえば国会の質問で閣僚が「火だるまになる」。議員の不祥事が「槍玉に上げられる」。社員が「首になる」。そんな言い方じゃまるで「拷問だよ」。
どれもこれも元の事象は悲惨そのもので、しかしその悲惨が共通のイメージを喚起するがゆえに比喩として成立してきた言葉だ。

これらの何がよくて何が悪いか、それを決め得る基準は何か。全部だめとする?
あるいは、コンセンサスができたらだめ?仮にそうなら、その説は「みんながだめといってるからだめ」という以上の裏打ちを欠いてはいないか。

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比喩表現の危うさ 

自明な「避けるべき比喩」をいわばリスト化して排除するのは乱暴だと僕は思ってる。
比喩の対象側の重さによっても適切性は左右されるとも思うし。つまり「それは地雷に例えるほどの恐怖であり痛みですか?」という問いね。その答はNoである場合が多いだろうけど、Yesという可能性は排除できない。

すでにアウトだとされてる表現であっても、一律に排除はしたくない。
考えるのはいいことだけど、ルール化して排除するのはむしろ思考停止の道じゃないかと思ってるんだよね。

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