法律の墨守を至高の価値と思い込む人はその法律がどんな経緯で生まれてきたか、何を実現しようとして作られたかなんて想像もつかず、興味も持たず、調べもしないんだろうな。
そして法自体やその運用状況が絶対善とはいえないことも。しょせん人為の産物なのにね。
たとえば見通しのいい赤信号の横断歩道で、車の影ひとつないのに渡らない人を称賛する風潮がある。
でも僕はそれが法に準じて他人を踏むことを顧みない性質と裏表だと思っているから、とても疑わしい目で見るよ。
今この信号機や道交法に何ほどの意味があるか、という本質を見ようとしない人間として。
もちろん子供に基本的な交通ルールを教えるために見本を務めてる人とかはその限りじゃないし、そういう人の意図を汲んで僕も子供の目があるところでは墨守の仲間になってることもあるけど。それは法の精神を重んじるためであって、法の条文を重んじるためではない。その2つは天と地ほども違うよ。