からだ。(恋愛に限らない)関係性のオタク。多動。いまはMXTX作品、SHL、mhykなど。二次創作を含めいろいろ読みます。自己責任論、努力信仰、性別二元論、家父長制、健常主義などに反対。障害とそのほかのあらゆる問題について、個人モデルではなく社会モデルを前提に考えたいです。いかなる例外もなく、だれも殺さないでください。だけど本当は、個人-社会の話より、個人-他者、個人-世界の話の方が好き。美術が好き。よく歌う。よく寝込む。
言葉はいつかなくしたいけど、できれば、歌はなくしたくないなぁ。
私は自分のために歌うことがとても得意で、それってすごくラッキーなことかもしれない。みんなそれぞれ自分の歌が好きなものかと思っていたけど、そうでもないみたいだから。自分の歌う声をきくことが自分の安らぎになる。歌ってきかせている。夜にもたまに小声で歌う。私は言葉が好きだけど、言葉よりも歌のほうが好きだなぁ。
眠るのがほんとうに下手!この6時間くらいのあいだに私が寝たのか寝ていないのか、Apple Watchも判断に困っている。お布団は気持ちいいし世界は美しいし、たまにあきらめてベランダに出てみたりするのも楽しいし、眠くなったときに眠ればいいだけなのでさほどつらくはないんだけど、こういう、なにに属しているとも言えないような時間のなかにいることがとても多いなぁと思う。生活のやりくりの話としては、やっぱり面倒だとは思う。このあとのことは、朝ごはんを食べてから考えようかな。
ぼんやり気持ちよく眠たいなぁってときに鳥肌が立つ感覚と、音楽を聴いたり感動したりしたときにぞわぞわーって鳥肌が立つ感覚は同じものなのかなぁと思っていたけど、人に話したら前提が共有できなくてびっくりした。自律神経バグなのか?
血糖値のグラフを見ているのが楽しすぎる。楽しすぎて、ご飯のタイミングを逃しかける。楽しすぎる。なんていうか、打てば響く。あと10日ちょっと、どんな人体実験をして過ごそうか。情報に注意が強く惹きつけられる性質なんだなぁということを実感する。だから都市は楽しいけれど疲れる。
健康になりたい。強くなりたい。むきむきになりたい。
安全な世の中にしていこーね。
よく考えたら、安全というほどにはまだ安全ではないかもしれない知識だったかもしれないかもしれないのでさっきの投稿は消しました。
さいきん買ったあたらしいおもちゃは血糖値のモニタリングをするセンサーです。アプリで見られてたのしい。自費はとても高いけどたのしい。健康をさがしている。
トリックを久しぶりに見て、ベビわるを見て、ラストマイルを見て、私は凸凹バディものがずっと好きなんだなぁとなっており、「私もバディほし〜よ〜」ってもにょもにょしていたところ、友達が「私たちずっと一緒にいろんな事件を解決してきたしバディじゃん?」と言っていたので、私にはもうバディがいたみたい!✌️どんな事件を解決したんだったかな。
きのうの仕事のあと夕方に頓服薬を飲んで眠り、Duolingoをはじめてやりそびれ、さっきすっきりと起きたので、もはやスンとしたDuoをやり、Apple Watchを充電しつつごろごろしているのですが、メンタル不調はほんとうに炎症みたいなものだなと思う。炎症が引けば呼吸しやすくなり、身近なものの手ざわりがわかるようになる。頓服薬をあまり常用できないのが難しいところ。
まほやくの記事が4gamerで出ていた岩川ありささんの『物語とトラウマ クィア・フェミニズム批評の可能性』(青土社)は語り口が好きな本。しかし読んでいて泣いちゃうから読みきれていない。後半はつまみぐい。
先回りして、暴れても大丈夫なように、安全な道を整え続けている私はよくやっていると思う。だけど本当に疲れる。
もーやだー
自分の衝動性におびえている。しばらく封印されたい。気絶させてくれ。
自分がこわい……ってなってるから、今日はもう仕事しないでお布団にはいろう。
ベビエブ、あの、同居同棲のリアリティ7割理想3割ってかんじで、あの、すき。
仕事して〜〜〜〜
そんなことばっかり言ってるから二次創作をしようとして真っ先にフィガロが権力からおりる話(仮)を書いちゃうわけですね。フィガロがとても憐れだから。
いかなる命も、ただそこに生まれること、生きること、そこにいることは世界にとっての可能性であり、世界そのものへの祝福であるとファフナーでも言ってたよ。ファフナーにいろいろ言いたいことはあるけれど、そのとてもシンプルな存在論を私は肯定しているし、そういう世界を私は信じている。
ということで仕事します。
様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。