からだ。(恋愛に限らない)関係性のオタク。多動。いまはMXTX作品、SHL、mhykなど。二次創作を含めいろいろ読みます。自己責任論、努力信仰、性別二元論、家父長制、健常主義などに反対。障害とそのほかのあらゆる問題について、個人モデルではなく社会モデルを前提に考えたいです。いかなる例外もなく、だれも殺さないでください。だけど本当は、個人-社会の話より、個人-他者、個人-世界の話の方が好き。美術が好き。よく歌う。よく寝込む。
土日は試験勉強がんばります。いまのままではおちる。
今日は投票して会社から来ていた書類を返送して図書館の本を返して借りてきたのでタスクをたくさん消化してすごい。
同軸リババイオレンスにょた百合…
「読み終えるのがもったいない」「楽しみな作品を読むのがこわい」みたいな話がまったくわからなくて、友達を質問責めにしてしまった。結局よくわからなかった。
豆苗すくすくかわいい。かわいいけど、たべられるんだなー私は、と思う。
まひろ単体でそうとう好みの人間で、物語の中での好み、というのもあるけれど、近くにいたらめっちゃすきだなーというリアルな質感。
この関係や距離感をこのまま男性に置き換えたら「近すぎて不自然」となるんだろうなと思うと、一般に男性は不自由だなと思いました。(終業後即ベイビーわるきゅーれナイスデイズした人の感想)
母と話していたら、「さっき電車で具合の悪そうな人がいたから、○○(私)だと思って席を譲った」と言われて、わーい!となりました。電車のさまざまが苦手で苦痛なので、電車に乗るたびに闇堕ちしそうになるけど、こういう話をきくとちょっと救われる。席を譲るのは、私にはほぼできない高尚アクティビティだけど、母にとっては時にはできること。私もできることする。
ベイビーわるきゅーれ、映画すべりこみたい…
ベイビーわるきゅーれをみています。たのしい。
やはり創作は祈り、というか、物語はいつでも祈りとして存在しうる、というか。祈りであるところの物語に救われる。私は怠惰だからちゃんと祈りを言葉にしていないけれど、私も祈るべきなのだ。祈りとしての文学。(これは、本日うっかり43万字超の二次創作を読んで一日が終わりかけている人の感想。)
きのうは友達と刺繍会をしました。私はトレーナーのシミに刺繍で縁取りをしました。それぞれの作業をして、その時間を共有している場、すごく好き。
お散歩がきもちいい気温〜!好き!!!
窓を開けられる気温!好き!
自分には制御できない意識を強制終了する各種手法(別名アディクション)とどう付き合うか考えているところ。本来、強制終了せずともゆるやかに日々を過ごせることが望ましいけれど、私の身体は失調していてそのようにはならない。本質的な改善のためには身体へのアプローチが不可欠であるのはわかっているし、ここ数年で驚くほどの回復をしてきたとは思うけれど、まだ先は長い。状況を引き延ばすためのなるべくマシなやり方のために、計画を立てないといけないかな。
つづら折りというのは天城越えの世界のものだと思っていたけど、道路標識を勉強して自宅に戻ったら、自宅のすぐそばにもあったことに気付きました。浄蓮の滝はなさそう。
イレギュラーキューブがたりないってことかも。
自分がこわくてならない
思い立ったが吉秒
ぶじに帰れることになりました。
様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。