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年賀状の思い出 

私はここ数年、年賀状を書いていない。書いていた時には大学の受験勉強をほったらかしにしてまで手書きで一枚一枚書くほどのめり込んでいたものだけれども、大学、社会人になるにつれてデジタル化が進み、今では親しい友人にすら出していない。

年に一度の凝りポイントだったのに、テキトウに生きることを大学で学んでしまったので、もうあそこまで根詰めて書く気力が湧かないのである。

両親もそのようで、昔はわりと凝っていたのに、最近は簡素なものを作るようになっている。

以前は毎年どこかに出掛けては「年賀状のための写真撮影だ」といって写真を撮っていた。あの頃はまたなんでわざわざ写真をと思っていた。今になって、それは家族写真年賀状が流行っていたからというのもあるだろうが、それが純粋にイベントごととして楽しかったというのもあるだろう。

家族みんなで型を選んで、写真をいい感じに加工して、よく刷れるプリンターを買い、宛名をワープロで起こして印刷し、それを郵便局まで届ける、といった一連のイベント。よくよく考えてみれば、めっちゃ家族らしい一時だったのだな、と振り返る。

年賀状を毎年出さずに済んで楽だな、と思いつつも、こういった文化が失くなってしまうのがちょっぴり惜しいな、とも思ってしまうのだ。

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