ありさちゃんがいるから、いつもより数日長く滞在しないと、と言ってくれて嬉しい。私は、誰よりもどこへも一緒に行けないのに、行きたい場所に出会うと「こーじと行きたい」とまず思っちゃう、不思議な気持ち。と言うと、ほんの少しの間をあけて不思議だね、と相槌してくれる。その間に何が込められていたのか、鈍感な私はいくら思い返してもわからない。喜びなのか戸惑いなのか面倒くささなのか。
日中少し仕事をして、花を部屋に入れたくなったので大好きな大好きなVOICEに赴く。やっぱり素敵な花、素敵な合わせ。アルマーニという品種の小ぶりなチューリップと透明感のあるフリージアを自分用に選ぶ。おすしちゃんのお祝いには悩んだ末にピンクメインのブーケをオーダーする。おすしちゃんの絶対的なかわいさと、きっとまっすぐであったかいけーすけさんの愛の色。
おすしちゃんは予想以上にはっきりとした物言いの機転の利く女の子だった。そんなものは分かりきっているという顔で「どっちも進めたらよくて」と言った彼女の顔を忘れられない。それを受けておかずとくんが「俺たちもそろそろ年齢を自覚してオネスト実行委員離任した方がいいのかも」と言ったが、私はそのとき、ああその生き方はもう選べない、ずいぶん遠いところまで来てしまった、と思っていた。
幸せになれる生き方、利の多い選択、そういったことがどんどん出来なくなってゆく。客観的に見てどんどん「へんなひと」になっていることが最近自覚できる。しかし、もうそうでしかあれない。なぜだろう、何処からだろう、子どもの頃は優等生だったのに。
夕陽の色からか、数ヶ月の不登校からか、ゆうちゃんとの眩い4年間からか、その別れからか、仕事に侵食された数年間か、余命宣告からか、手術と喪失からか、いつから?わからない。私知らなかった、もうスマートな道を歩けないこと。そこにむきだしの心と心があるのなら、すべての効率や計算を投げ打ってそこへ向かってしまう。その一瞬のために、待ってしまう。それでいいのだと、思う。しかない。
あ、そういえば近くのコーヒー屋がとてもよかった。また行こう。
230213
憧れのひとと一緒にいるって、どんな気持ちなんだろう。それが当たり前になるとき相手を酷く傷つけてしまうのではないかという恐怖。休日も弛まぬインプットをしている様子を見て、私はありのままの今の自分を愛してもらおうとしているの、酷く傲慢なのではと思い至る。あの瞳の輝きを、私はずっと一方的に見ていることしかできないのではないかと。少なくとも均衡の崩れた感覚を抱いているうちは、結論を出してはならない。少し遠のく。少し独りになりたい。