・東部/山が多く農業には不向き→東部から南部にかけて養蚕〜織物業が盛んになる
・奈良時代には記録が残ってる。明治あたりに新しい機械が発明されると翌年には導入してる
・南部/関東平野があるので米も小麦も育つ、製糸業と織物業もやる(稼ぐ主力は小麦と蚕なので食べるのは小麦)
→東部は「俺には織物しかないぜうおおおお!!!!」(向き不向きを理解してる/それしか金にできないので日本トップレベルまで努力する)なんだけど、南部はちょっと東部より立地が恵まれてるので「俺もこれやる!あっそれもできるしあれも!」って色々できる イメージ(偏見) ただ東部が努力できるのは南部も関連業やってるから支えられてるのはあるとおも……
群馬についてイメ3
うろ覚えの地元史だから間違ってる可能性高いけど、
小雀の主を浄土の主が討つ(東部の話)→南部の大名(白光の神社がある城の主)が浄土の一族を討って東部を領土にする、という流れだったはずだから、東部は特に「誰か大名のメイン城下町!」というより「ひっそりやってきたけど大きい方に併合されていった(ので領主に締め付けられにくく領主が割と変わりやすい)」と思ってる 間違いかも