あるTRPGキャラクターについて「自分を規定するすべてのものから逃れた結果現体制の消極的支持をしていそう」という感想を持ったけど、日本のオタク……ていうか日本人は特にわりとこういう人が多いと思う
ので、このキャラが人気あるのとてもよく分かる

そういうスタンスの人間は全員が一方的な消費者ではなく、創作者でもあったりするし、実際商業ラインにのるような文学作品でも登場人物のアイデンティティについてラベルを与える(≒規定する)描写を避けるのはよくあることらしい(文学作品読まないので伝聞でお送りしております)

私ももちろんオタクなので「形・名前をもたない美しさ」の魅力はすごくよく分かる、というかむしろ「すべてのものは形作られる前の曖昧な状態が最も美しい」と思ってる手合いなので自作でもやっちゃったりするのだけど、「海外のオタクとは話通じね~😅 」までいくのはさすがに日本のオタクの選民意識出すぎじゃないすかねと思う

独自性、一意性、特別感のための創作上の演出というのは分かるけど、創作の演出のためなら何やってもいいんすか(この件は一律どうというより程度問題だと感じるが)というのと、創作と現実が互いに延長線上にあるのを無視して批判に「いや現実との区別つけてもろて😅 」と返すのは誠実ではないのではというのと

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「すべての規定(政治性と言い換えてもいい)から逃れられる」という牧歌的な夢は一見最も自由そうだけど、逃げた先にも、逃げるという行為自体にも政治性はある
一方アイデンティティのラベルと出会う、自らの政治性を自覚する、というのは今より自由になる方法のひとつであったりする

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