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何かの問題を考える時、単に誰かや何かを批判するより、その本質を叩きたくなって、個別具体的な例から普遍的な説明が見つからないか、考えてしまう。
今は「市井の人々」という単語が頭から離れない。

「市井の人々」が「大衆」でもいい。

多分、元々は「市井の人々」というのは「格差社会の上の方では無い特別なところのない普通の私達」という意味を含んでいたと思う。

それが「上」に向かって声をあげるという意味で、「市井の女」が「男」や「アカデミアの女」に対して物申すという形にしたかったのだろう。

なんで、ここで、無関係なトランス女性が踏まれる羽目になったのか?と思う。セックスワーカーも市井の女には入れられないだろう。
多分「アカデミアの女が担ぎ上げている」という理由で。

そうやって排除する「特別な女」を設定して、自分だけ「市井の女」の中に入れても、いつ自分も排除されるか?わからないのに。

あとアカデミア批判するのはいいけど、「自分は無知で無学だけど〜〜」という言葉をわざわざ文頭に置いて学ばないことを肯定するのはどうかと思う。

勉強しなくても声はあげられるけど、無知で無学なことは自慢にはならない。勉強したら「市井の女」で無くなるとしたら、怖いことだ。勉強した女は女にあらず、という前時代的な主張になる。

「市井の女たちでフェミニズムをやり直そう」というタグやね。
あれは明らかにヘイトやと思うな。
ここで使われている「市井の」という言葉は「マジョリティとしてのシスヘテロ女性」という事を意味してるから。
マジョリティだから「無名な市井の女性」なだけで、そのマジョリティ性に全く無自覚であり、マイノリティ(つまりトランスの人)を完全に排除するために使われている。

僕は自分自身「名もなき人」だと思うし「市井の人」だと思うけど、それはある意味でレッテルを張られないマジョリティである事を表してる気がする。

「難しい事は分からないけど男は男だろ」って言う主張は「難しい事は分からないけど日本は日本人のものだろ」みたいな言い方とそっくりだよ。

ネトウヨが「普通の日本人」って言うのと相似形だよな。

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