https://twitter.com/tenichi08/status/1612412822671233024
これが回ってきたけど、スレ見たら、、、
「日本の最高経済専門家は極端に警告までしたが、彼は元JTモルガン日本支店長でジョージ·ソロスのアドバイザーで、米ニューズウィーク選定の世界が尊敬する日本人100人に1人に選ばれたことのある藤巻健史だ。」とか書いててのけぞったわ。ハイパーインフレ厨の藤巻氏やん…
この人昔からずーーーーっと日本はハイパーインフレになる、すぐにでもなる、みたいな勢いで言ってて外し続けている人です。釣られないように。
今日観た、チャン・リュル『福岡』について(ネタバレ含)。
延々と続く、幽霊が見ているような手持ちキャメラ(カットを切らない長回しがそれを助長)。
古本屋に戻ってくるエンディングが、それこそが現実なのか、それともそれまでが現実なのか分からなくなるのが見事。
男2女1の三角形だけど、クォン・ヘヒョとユン・ジェムンのおっさんコンビは若いパク・ソダムに手を出すわけでもなく、ひたすら「過去の女の思い出」に苦しむ。この2人からミソジニー臭を感じないのも嬉しい。
この2人を手玉に取りながら、3ヶ国語の間を、男たちの間を、福岡の街を、そして現実と幻想の間を静かに泳いでいるパク・ソダムが素晴らしい。
そしてこのロウソクのショットよ。3人が文字通り「息を合わせる」瞬間。
自分が、最新作『柳川』よりこっちのほうが好きなのは、老いの現実と忘れられない過去をこんなふうに引きずったまま生きていけたらと思うからかもしれない。
エアリプ的に追加しますが、セジウィックの「ホモソーシャルは欲望」という議論は、西洋近代の規範的男性性(というかより正確にはアングロサクソンの中流階級の規範的男性性ですが)が、女性嫌悪に加えていかに特徴的に同性愛嫌悪を必要とする形で構成されていたか(言い換えれば規範的男性性がいかに男性の同性間の欲望を必死に食い止めつつ成立していたか)、を示すことに主眼があります。
つまり、西洋近代の規範的男性性がいかに女性と男性同性愛の双方(およびその両者の排除)に依拠しているかを示す、という意味では、とても「使え」る議論だったのです。
そして、80年代後半から90年代のフェミニズム理論における本質主義論争と、HIV/AIDSの流行に伴うホモフォビアの高まりの中で、この二つの作用(ミソジニーとホモフォビア)を繋げて考える回路を示すことには、大きな政治的意味があった。
なんかTwitterを見てみたら(局所的に)セジウィックブームになっていて、NHKのフェミニズム番組の影響らしいのですが、いやセジウィックは確かにクィア理論史ではとても重要な人だけど、でも同時にセジウィックってほぼほぼゲイ男性ばっかり見てる人でもあるし(多分「女性」みたいなのにそこまで興味ないと思う)、何より基本的に文学研究だけれども、特定の文脈において読むと直観的ではあるけれども同時に非常に鋭い政治的・文化的な観察でもあることがわかる、というようなものを書く人で(例えば「クローゼット」についてとか、「ホモソーシャルな欲望」という定式化とか、「複数性」とか「情動」とかについても)、要するにある程度の背景知識がなければちっとも読めない人なので、「なぜそこでセジウィック…」という気持ちは割とあります。
人生丸ゴト握ッテ回ス 裸足で行かざるを得ない