Blueskyで「AIでの作画を『絵柄の民主化』と言ってる人は『本来得られたはずの恩恵から排除されている』という感情に見える。絵描きの『好きでやっている』という社交辞令混じりの言葉を正面から受け取って、仕事や訓練も一切苦労なしで楽しさだけでやってると思ってるのでは?」という投稿を読んで、本当にそうだったらゾッとするなと思った
絵も、勉強とかスポーツとかと同じで“訓練を続けられる性質と環境”の代わりにかろうじて得られる技術で、それができなかった人(願望はありつつAIによって初めて“作画”を行えた人)だったら難しさが分かってると思ってた。『AIによってこれまで一部だけが独占していた“絵柄”を分け与えられた(=民主化)』みたいに思うのはちょっと違うのでは....?
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