自分は昔から日記とか書くの全然できなかったな~というつらつら
私は公式情報と他の人たちのファンアートを眺めて喜ぶ!て人なので、そういうオタク的な使い方をしない自分の日常のためのアカウント?を上手く運用できない……というか想像が難しい?という感覚がある。
自己に対する信用と好意が無いので、大体常に「今まで自分の生きてきた痕跡が他人の記憶とか含めてまるごと消えて抹消されねえかな……」と思ってるので、そうなると日記みたいに自分の情報をわざわざ記録しておきたくないな~の念が強い。希死念慮!希死念慮?
メンタル系の作業療法で日記を書いて内省したり後から自分を客観的に見たりするための良い材料として「日記を書く」てのが良い慣習なのは分かってる……つもりなんですけどね。
自分の書いてる支離滅裂な文章が嫌いだし、とにかく「自分」が関わるのが嫌なんだよな。
まあ根底として自己保身強すぎなところを自己嫌悪して過剰に自己要素を毛嫌いしているのだが。ナルシストやんけ!!!落ち込むからあんまり直視したくない事実。
つづき 二次創作とかやってる心持ちの自己観察
二次創作はその点、書き手を貫通して「原作作品を愛してる人」が原作作品への愛や好意で見たり話しかけたり通過していく媒体だから、そういう「自分が空気になる感じ」があって息がしやすい……というのが、個人的な心持としてはある。
もちろん自分の勝手な妄想のせいで原作に迷惑をかけないように、自分がネットに投稿したものには責任もって注意しておきたい。
でも二次創作を見る人って、その人が愛している原作のイメージを二次創作物を通して見ていることが多いと思うから、「私を見られてはいない」というのが、落ち着くんだろうなと思う。
あ、でも「書いている私」の方を気にかけてくださったり、「二次創作のなかでも私の書いた文章」について丁寧に好意を伝えてくださったりする方への感謝や喜びはもちろんあります。
私の二次創作文章は「原作を見て想ったこの感動・萌え・燃えを誰かに共有したい!」と思って衝動的に文章にしているわけだから、それが誰か他者に届いたのであれば、とても嬉しい。どんなものでも自分の文については「こんな文章でごめんなさい」という申し訳ない気持ちは常にあるが……それはもう性質なのですみません……
でも、自分じゃない人から貰ったものは大事にしたいと素直に思えるので、大切にしています。