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『猫と、とうさん』観てきた。アメリカでは(海外では?)猫を好きな男性は変わり者とされるらしいんだけど、そこから男らしさの解体と再定義の話をしつつ全体的にはとにかく猫はパートナーとして最高なんだ……という話をずっとしていた。こういう話になるたびに「それは男が勝手に定義して勝手に生きづらくなってるんだよ」という声が上がるけど(その一面は確かにある、日傘の話とか)、でもそれは男性に限らないよな…と私は思う。男性らしさ女性らしさは社会に強制されている面があり、そしてこれまで社会を形成継続してきた大多数は男性であるからこの強制は男性の責任ではあるという考えは社会学的にはそうなのかもしれないけど、社会の責任を個人に押し付けて一気に社会を変えるよう働きかけるよりも、各々個人が勝手に変わっていくほうが早いんじゃないか、映画に出てくる猫好きな男性は個々人で猫と向き合い愛しているしそれでいいんじゃないかな。そういうふうにおらゆることを始めていければいいのに。という気がした。ねこかわいい。

もちろん社会を変えるよう働きかける運動は大事ですがそれは前提として個人の苦しみや生きづらさを毎度拡大しないでいいのではという話です。

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