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気付かないうちに急増していた。というのはLCCでは既に気配が出てきている、国内でも取り上げる媒体の数や機会が明らかに増えた。

来年は露骨に表面化すると予想。

まぁ、実際のところけっこう亡くなってる数が多い気配は感じる。

感覚が麻痺してくるが、ちょっと多い? ってのがずーっと年中で常態化すると全体では凄い多くなってるにもかかわらず気づきにくい。

季節の変わり目、もあるがそれならより高齢な人ら"も"亡くなる数が増えるはず、それは一般的なこととして皆が知っている。

新聞の謹告欄を見てると少しの違和感がここ最近ある、

夏〜初秋のいままではやはり後期高齢者が多くてそれより下は少なくてパッと見ですぐに目に付いてた。

それがここのところ、印象では11月以降かな、後期高齢者orそれに近い割と上の方の年齢の人というほどでは無い、それより下の年齢でかつ病気療養中の〜、という人が多くなった、男女とも。

特に病気療養中〜が目立つ印象、闘病中なので年代も中高年から初老でも露骨に増えて寧ろ後期高齢の人よりも目立って増えてきた感じがする。

なぜこの時期に? 仮定としては夏流行ピークからだいぶ過ぎて公表値も下がり社会全体が緩みに再び流れたのは確か、それに伴い高齢者施設内or病院内の緩みも増した結果だろうか?

夏ピーク時に療養中がもっと目立って死亡数が出てたという記憶とか印象は無いのよね。それにその頃は各施設はそれなりにピリピリして制限してたところも多かった。

ここ最近気になった事はこれ。何か筋の通った理由があるのだろうか

思ってたよりも今日は一時雨の時間が多いのかも?

こうやって定期的に自身に言い聞かせないとうっかり失念してしまって、不快を大量に受けてしまい大後悔することになる。

予防が大事。

身内にこの手合がいると非常に疲れるので必要最低限の範囲を接する際に注意して守ることにしている。

不快を進んで受ける理由は無いし、その環境に無駄に己を晒すのは自身に対して失礼である。忌避すべし。

観察してると、まず何においても何をするにしても何事であっても、”まず言い訳から入る”、というタイプの人がいる。

会話の出だしは ”まず否定から”、それ以外の会話する方法を知らない人。
「いや、○○は〜」ってのが何度も繰り返されるやりとり、会話の流れとその「いや、〜」っていう否定が成立してないぞもはや。

いや、でも、等を接続詞か相槌のように多用する変な人ら、同意の言葉を口にするのは負けだと感じるタイプっぽい。

何と戦ってるのか知らんけど。

我が親だけの観察だが、空気清浄機を適時適宜使用するように促しても無駄である。

面倒くさくてそんな面倒なこと出来るわけないだろ私が。と返事が返ってきただけ、

なので説得して言い聞かせる労力を使うより常時稼働にしてしまうのが楽である、フィルター交換頻度が上がるのは仕方ない諦める。

この手合の聞く耳を持たない相手には割り切り対処が無駄なストレスを減らせる。

効果獲得を優先事項にして現実的対処を推していくのも手。

百均で買った室内履きのスリッパだか靴下だか知らんけど、そういうアレがさっそく役に立ってる、これで寒暖差トラップに対処する

今日も雲と一時雨の日っぽい、北寄り成分の風なので外の体感は注意やね、二輪の人らとか。

最近の気温に身体が慣れてきた、肌寒さをあまり感じなくなってきた

例えれば、
「自分は、理性的に・論理的に、筋の通った考えのもとに物事を見たり判断したりしている」 と感情的に思っている。て感じ。

あれだ、途中まで冷静に走って塁を回ってきたのにホームベースに至る直前でナゼかことごとく暴走しちゃう、みたいな。

”善意”とか、”正義感”みたいな何かとか、良心まではいかないが ”良かれ” みたいな何かとか

そんな気配

ヲチってきた層の中でも分化が進んできたぽい、わりと明確に。

その境目・境界線は何かを端的に言うまでの何かは我にはまだ見えていないが、何かしらの感触やら気配やらはある。

とりあえず、ポイントの一つは”善意”or善意みたいな何か、な感じがする

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