1974年7月25日、全日本プロレス「サマーアクションシリーズ」日大講堂大会で、ザ・デストロイヤーとミル・マスカラスがデストロイヤーの保持するUSヘビー級王座をかけて対戦した。二人は前年の1973年10月9日、蔵前国技館で対戦したが、3本勝負の3本目でデストロイヤーがショルダースルーでマスカラスを場外へ追いやった際にマスカラスは足を負傷、またマスカラス自身がこの年から制定されたPWFルールを把握しておらず、カウント10でリングアウト負けという不完全燃焼の結末になったことから、今回は決着戦の意味も込めていた。

デストロイヤーは1972年12月に新潟でジャイアント馬場に敗れると、馬場の誘いを受けて日本陣営に加わり、1973年3月から全日本プロレス所属となった。当時は鶴田友美ことジャンボ鶴田もザ・ファンクスの下でアメリカ武者修行中で日本人選手も手薄なことから、力道山や馬場とも何度も対戦し日本のファンに馴染みが深かったデストロイヤーが加わることで、全日本プロレスにとって大きな戦力となった。

そのデストロイヤーのイメージを大きく変えたのは日本テレビのバラエティー番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」にレギュラー出演してからだった。出演の際には馬場も他の選手に対する示しもあって乗り気ではなかったが、当時土曜8時で放送していた「全日本プロレス中継」は想定通りに視聴率を稼いでいなかったこともあり、数字のことを出されたこともあって馬場も渋々デストロイヤーの出演を認めざる得なかったが、和田アキ子に「おいデストロイヤー、こっちこい」とハリセンで叩かれるなどぞんざいに扱われボケキャラとしてとしてコメディアンとしてのセンスを見せることで、リングの外でも人気を博すことができ、視聴率で悪戦苦闘する「全日本プロレス中継」に大きく貢献していた。

そのデストロイヤーに企画されたのは「覆面世界一決定戦」で、マスカラスとの試合はまさに覆面世界一を決めるのにふさわしいカードだった。試合は1本目がデストロイヤーがダイビングニードロップで先取し、2本目はマスカラスの必殺技であるダイビング・ボディアタックで3カウントを奪いタイスコアにに持ち込む。しかし3本目はデストロイヤーが足四の字固めで追い詰めるも、凌いだマスカラスはデストロイヤーの突進をリーブロックで飛び越えようとするところで、足四の字のダメージで跳躍力がダウンしていたマスカラスの股間にデストロイヤーの頭部が直撃してしまい、マスカラスが動けなくなったため試合はストップ、ジョー樋口レフェリーもマスカラスがこれ以上、試合を続けることが出来ないと意思表示したため、試合放棄でデストロイヤーの勝利となったが、試合後にサ・トルネードと名乗るマスクマンから「俺こそがNWAが認める世界一のマスクマンだ。マスカラスだかデストロイヤーだか知らないが、勝手に覆面世界一決定戦とはけしからん。勝った方が俺と戦え! 実力を見せてやる!」挑戦状を送りつけてきたため「マスカラスに勝っただけでは覆面世界一とはいえない、10人の大物マスクマンを破って、初めて世界一を名乗れると思う」とデストロイヤーも受けて立ち、USヘビー級王座をかけた「覆面世界一決定十番勝負」が始まり、初戦でマスカラスを破った。

第2戦は8月9日の蔵前国技館で行われ、デストロイヤーはザ・トルネードを迎え撃ったが、トルネードが登場した時点で誰もが見た目で正体はディック・マードックで丸わかりで、それでもトルネードは普段使わないブレーンクローを使うなど正体がばれないように苦心して1本を先取したが、リングアナである百田義浩がうっかり”ディック・マードックが1本先取でございます”とコールしてしまったことで正体がバレてしまう。試合は1-1の3本目でトルネードが凶器攻撃から押さえ込んだところで、立会人として招かれていたNWA副会長であるジョン・リングレー氏(ジム・クロケットの娘婿でミッドアトランティック地区のプロモーター)がトルネードの反則を見逃さず、立会人の権限でデストロイヤーの反則勝ちとなって薄氷の勝利となる。トルネードもマードックに戻っため再戦は行われることはなかったが、馬場も不手際も重なって再戦を組む気はなかったのかもしれない。

10月5日の日大講堂で第3戦としてジ・アベンジャー戦が行われるも、試合ぶりから見て全日本プロレスの常連で参戦していたムース・モロウスキーと丸わかりで、試合は1-1のタイスコアの後でデストロイヤーが足四の字固めで勝利、1975年1月4日の後楽園ホールではザ・バラクータと対戦するも、バラクーダが後にペティグリーと言われるジャンピングパイルドライバーを使ったことで、正体はマリオ・ミラノとわかってしまい、試合も3本目でセコンドに着いていた鶴田にバラクーダが気を取られたところでデストロイヤーが丸め込んで3カウントを奪うという物足りない結果となって、「覆面世界一決定戦」も即席覆面レスラーばかりと対戦とあって”意味はないもの”になりかける。

1月22日の沖縄でやっと満を持して”本物”のマスクマンが登場し、馬場とはかつて好勝負を展開し全日本プロレスの常連となっていたカリプス・ハリケーンが第5戦の相手を務め、ハリケーンがトップロープとセカンドロープに首が絡まった際、デストロイヤーがショルダータックルを仕掛け、そのまま場外へ転落してリングに戻れず両者リングアウトとなり、10番勝負が初めて引き分けに終わってしまう。29日の東京体育館で再戦となるが、ハリケーンのセコンドだったボブ・ブラウンが介入を狙ったところでハリケーンと同士討ちとなり、その隙を突いたデストロイヤーが丸め込んで3カウントを奪い勝利となるも、3本とも5分以内の決着となったため、これまでの試合の中では最悪な内容となってしまった。

5月1日の岡山で第6戦では前年度のチャンピオンカーニバル準優勝のミスター・レスリングが相手を務めるが、この試合はチャンピオンカーニバル3位決定戦も兼ねて行われ、試合は1本勝負だったこともあってデストロイヤーが後方回転エビ固めで3カウントを奪い勝利を収めた。

5月27日の広島で第7戦が行われ、ザ・ブラック・デビルが相手を務め、デビルはトルネード、アベンジャー同様、即席マスクマンであることは間違いなかったが、当初の宣材写真で発表された時点では150キロもある大型選手だった。ところがいざ来日してみると写真とは違い体型がシャープされた選手で、試合は2本目をデビルが凶器入り頭突きで3カウントを奪ったことで、怒ったデストロイヤーが3本目にデビルのマウントを奪ったうえでマスクを剥ぎ、最後は頭突きの連発で3カウントを奪ったものの、正体は新日本プロレスにも来日したマヌエル・ソトと判明すると、馬場は宣材写真とは全く違った体型のレスラーを来たことで「ニセのブラック・デビルを呼ぶなど言語道断だ!PWF本部に抗議する」と怒りを露わにし、第7戦は無効となってしまった。

なぜ偽物のブラック・デビルが来日することになったのか?宣材写真のレスラーは日本プロレスにも来日したジョージ・プリンプ・ハリスというレスラーの顔の部分だけ黒く着色してたものがフラック・デビルとして紹介したが、おそらくだがブラック・デビルを務めるレスラーは見つかっていなかった、後年になってブルーノ・サンマルチノが外国人担当だったジョー樋口にソトのブッキングを依頼したことがわかり、馬場も急遽とはいえサンマルチノの推薦では断れないことから参戦を認める代わりに、ソトにブラック・デビルをやらせたということだろう。

7月9日、大阪で第7戦が行われ、ザ・スピリットが相手を務め、即席マスクマンであることは間違いなかったが、デストロイヤーと互角に渡り合い、3本目でロープを使ったエビ固め(エディ・ゲレロ式エビ固め)で3カウントを奪い勝利となってしまう。ところがこの試合を裁いていたのは当時第2のレフェリーだったジェリー・マードックで、サブレフェリーとして試合を見守っていたジョー樋口がスピリットの反則行為を主張したため、判定は覆って試合は続行、怒ったスピリットはバックステージへ引き上げて試合を放棄しデストロイヤーが勝利となる。
この結果にデストロイヤーが納得せず、7月25日の日大講堂で再戦が行われ、1本目にスピリットが凶器入りマスクでの頭突きで3カウントを奪い先制すれば、2本目はデストロイヤーもセコンドの鶴田から手渡された凶器入りマスクの頭突きの連打で3カウントを奪い、タイスコアに持ち込み、3本目もスピリットが凶器頭突きを連発してきたに対し、怒った鶴田もスピリットのを足を押さえている間に、デストロイヤーが丸め込んで3カウントを奪い、なんとか勝利を収めるも、正体は日本プロレス時代から馬場と何度も対戦してきたキラー・カール・コックスで、本人もスピリットになりきるためか、必殺技のリアルブレーンバスターを封印して変身したが、実力者ぶりを発揮した。

8月19日の札幌では第8戦として、やっとブラック・デビルと対戦、この時のブラック・デビルも長身の選手で体型が変わっていたが、長身の選手らしくまずまずの実力を発揮、ネックハンキングでデストロイヤーを苦しめるも、3本目でダイビングエルボードロップを自爆したところで押さえ込み3カウントを奪い勝利、このブラック・デビルも後に新日本プロレスへ来日するブラックジャック・モースと判明し、ブラック・デビル事件も一応の決着をつけた。

第9戦は2月21日の後楽園ホールで行われたが、間が空いた理由はこの年に開催された「オープン選手権」の準備に入るためだった、相手は当時ヒットしていた映画である「ジョーズ」にちなんでブルー・シャークと名付けられたマスクマンが相手になり、、試合は3本目でデストロイヤーが足四の字固めでギブアップを奪い勝利を収め、正体は後にビル・ミラーの弟であるダン・ミラーと明らかになった。

そして最後の10戦目の相手はアトランタで活躍していたスーパー・デストロイヤーで、8月28日の日大講堂で対戦するが、この時のデストロイヤーは左膝の靭帯を損傷していたため、最悪のコンディションだった。試合は1本目はデストロイヤーが圧倒され、1本目を失ってしまうものの、2本目はデストロイヤーが空中胴絞め落としで3カウント、3本目で足四の字固めでギブアップを奪い、10戦全勝で有終の美を飾り、試合後にデストロイヤーがスーパーのマスクを剥ぐと、正体は日本プロレス時代に馬場と何度も対戦したドン・ジャーデンと判明、その後マスクを剥がされてもスーパー・デストロイヤーと名乗り、全日本プロレスに参戦した。

2年1カ月に及んだ「覆面世界一決定十番勝負」はドタバタがあったものの無事完走、視聴率で悪戦苦闘していた「全日本プロレス中継」にも大きく貢献したこともあって、全日本プロレスだけでなく日本テレビにとっても、終わり良ければ総て良しだったのかもしれない。

「覆面世界一決定十番勝負」に大きく係わったリングレーはジム・クロケット・ジュニアによるクーデターによって失脚してアトランタを追われた。リングレーはアトランタから追われた理由は不倫をしていたことをクロケット・ジュニアにつかまれてしまったからだった。

デストロイヤーはその後も「金曜10時!うわさのチャンネル!!」に出演し続けたが、巡業先からスタジオまでの往復で多忙な日々を過ごした。そして1978年に歌手に専念したいとの理由で降板した和田アキ子と同時期に番組を降板、1979年に全日本プロレスの所属から外れアメリカへ戻ったが、その間に前妻が男を作って逃げてしまい離婚という辛い出来事が起こったという。

デストロイヤーは1993年に全日本プロレスのリングで現役を引退するが、引退後もたびたび来日しており、2017年には、日本政府より秋の叙勲において外国人叙勲者として旭日双光章を受章する。2019年2月19日、両国国技館で『ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜』開催され、デストロイヤーもゲストとして招かれる予定だったが、体調が芳しくなく来日を断念し、メッセージだけを送るのに留まった。その半月後の3月7日、デストロイヤーは家族に見守られながら88歳の生涯を終え、和田アキ子もデストロイヤーを最後まで盟友として故人をしのんだ。

デスは「うわさのチャンネル」で一緒に頑張った同士みたいな存在。私の40周年のアポロシアターにも来てくれた。お花を持ってステージ近くに駆けつけてくれた時は本当に嬉しかったです。最後にお会いしたのは2年半前の雑誌の対談。昔話に花が咲いてとっても楽しかった。心よりご冥福をお祈り致します。 pic.twitter.com/bFfZVS0ysy

— 和田アキ子 (@wadasoul2015) March 8, 2019

(参考資料=ベースボールマガジン社「日本プロレス事件史Vol.13 マスクマンの栄光と悲劇)

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https://igapro24.com/2024/03/27/historia-162/

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