新日本プロレス、ジャパンプロレスで活躍し、初代タイガーマスクのライバルの一人であった小林邦昭さんが肝臓がんで死去した。享年68歳。
小林さんは1972年に旗揚げしたばかりの新日本プロレスへ入門し、1973年に栗栖正伸戦でデビュー、3年後には初代タイガーマスクとなる佐山聡がデビューした。
1980年にやっとメキシコUWAに武者修行へ出され、1982年にはロスアンゼルスでキッド・コビーのリングネームでNWAアメリカス・ヘビー級王座を奪取、10月に凱旋帰国を果たすと、初代タイガーマスクとなっていた佐山を襲撃することで、初代タイガーマスクとの抗争が勃発、26日の大阪で対戦したが、初代タイガーのマスクを引き裂く暴挙を働いたことで大きなインパクトを残し、ファンからは初代タイガーのライバルの一人として認めれるようになったが、マスク剥ぎは小林自身が動きでは初代タイガーに敵わないと考えてのことで、ライバルとして押し上げてくれた初代タイガーに感謝をしていた。
マスク剥ぎ事件から新日本プロレス本隊に反旗を翻した長州力と行動を共にして、維新軍団の一員となり、長州が新日本プロレスを離脱してジャパンプロレスへ移籍した際にも行動を共にした。
そしてジャパンプロレスと提携していた全日本プロレスに参戦し、2代目タイガーマスクとなっていた三沢光晴とも対戦して、勝利を収め、ダイナマイト・キッドを破りNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座、またヒロ斉藤を降し世界ジュニアヘビー級王座を奪取、2代目タイガーがヘビー級へ転向した後は、渕正信と王座を巡って抗争を繰り広げた。
1987年に長州と行動を共にすることで新日本プロレスへ復帰、IWGPジュニアヘビー級王者となり、獣神ライガー(獣神サンダー・ライガー)のデビュー戦の相手を務めた。そしてヘビー級へ転向すると、越中詩郎と共に反選手会同盟を結成したが、この頃からガンとの戦いが始まり、大腸がんと告知を受けると欠場した。
リハビリを経て復帰したが、肝臓に転移していることがわかると引退を決意、2000年4月に獣神サンダー・ライガー戦を最後に引退した。
引退後は新日本プロレスの道場長を務めつつも、J-スポーツで放送されていた「新日本プロレスSXW」では山本小鉄さん死去を受けて解説を務め、限定復帰を果たしてリアルジャパンプロレス(ストロングスタイルプロレス)に参戦して初代タイガーと対戦するも、ガンが転移しては手術するなどガンとの戦いを続けていた。
ご冥福をお祈りいたします。
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