BT 遺族感情は、それとして認められてしかるべきだと思うが、この記事の論調がおそろしい。
私は2人の子供の親だが、不登校の子供との日々にままならなさを感じている。それだって親の責任だとする意見があることも身をもって知ってるし、自分自身でさえ自分が直せるところ変えられるところがないか考えすぎてバランスを失いかける。
「子供が自殺した親の監督責任」なんて、こういう事態で使って欲しくない。賠償してもらって当然だよね、という書きぶりはメディアとしてもつべき良識を欠いているように思う。
法の場面に出るというのは、加害被害の図式で捉えるということである。メディアには法の次元は抑えつつも、我が子を自殺で失った親と、突然の「事故」で我が子を失った親を、剥き出しの敵味方としてショーアップするのとは、異なる言葉の使い方をする役割を期待している。社会や制度を問うとか、取り組みを他から探してくるとか、そういうことだ。