「あんたは子どもの頃からそれを目指していたからお祖母ちゃんは言う必要が無かったのよ」

数年前、父方の祖母が亡くなった。葬儀で、八人の孫たちが祖母との思い出についてスピーチをすることになった。私は祖母がずっと担っていた無償のケアワークへの感謝を述べた。
動いていない時が無いくらい働いていた祖母、余計なことは言わず尋ねない気遣いが自然にできた祖母……そのお陰で子ども時代も大人になっても、祖母の家ではのびのびと過ごせたこと……そんなことを話した。

次々と孫がスピーチをするうちに共通の話題があることに気づいた。
「学が無いせいで貧しく子どもたちを大学にやれなかったから大学に行ける有難さを忘れるな、と言われた」
「女性でも学があれば働いて自立できるから頑張れと励まされた」
「しっかり学んで仕事をする女性になれと応援してくれた」
……私は一度も言われなかった。

葬儀の後、母にそう言った時に冒頭の言葉を言われた。そうか、と思った。いつも誰かを支えていた祖母。もしかしたら、本当は自分のために学び、自立したかったのではないだろうか。 のオープニングでリヤカーを引く、名も無い市井の女性の姿に祖母が重なる。祖母が行きたくても行けなかった地獄を目指す孫を見て、彼女がどう思ったかーー言う必要が無かった言葉を思う。

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祖母の話を続けよう。
「昔の女性は我慢強かった」とはよく言われる。本当にそうだろうか?
祖母が祖父の家に嫁いだ時、既に姑は鬼籍に入っていた。そして、立て続けに男の子を四人も出産した……ここだけ見れば、随分と恵まれたように思えるかも知れない。いびってくる姑はおらず、後継の男子も四人いる。

その点では確かに祖母は恵まれていたのだろう。しかし、妻に先立たれた舅は常に不機嫌だった。おまけに、幼い女の子が遺されていた。祖母は結婚と同時に母親役をすることになり、畑の世話もしなければならなかった。ライフラインすら満足に通っていなかった山間部の小さな村での農作業は重労働だが、働かなければ家族が飢える。選択の余地は無かっただろう。
どんな思いでいたかは分からない。祖母はその頃のことを何も語らなかった。言っても仕方ないと諦めていたのか、思い出したくなかったのか。ただ、私は母から一つの話を聞いている。

祖母は、伯父と私の父を連れて心中を図ろうとしたことが一度ならずあったらしい。滝壺に続く山道を、産んで間もない息子を背負って、歩けるようになった息子の手を引いて歩いていくと途中で必ず背中の赤ん坊か手を引いている息子が泣き出し、帰ろうと愚図りだしたので思い留まったという。

受け入れたのではない。ただ限界を越えなかっただけだ。

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