ざっくり言うと、江戸時代後期から、農民、町民の富裕層と下級武士の間にできた知識人のネットワークの中で、中世以来の日本神話が教養として共有されはじめた。ナショナリズムと朝鮮への蔑視、そして理想化された天皇制のイメージを含むその知識体系が、プロト産業革命社会で力をつけ始めた「市民」階級の革命思想となり、ウエスタンインパクトへの(多分に想像上の)危機感と相まって、幕末の政変の原動力の一つとなる。そして、それは明治後の「革命政権」にも受け継がれる。
なぜ朝鮮半島への蔑視を含んでいたかというと、日本書紀と古事記に朝鮮半島の古代国家(主に新羅と高句麗)への悪口が書いてあったからで、なぜそんなものが書いてあったかというと、大和王権が朝鮮半島からの移住者または分派からなり、しかも新羅に敗れた百済からの亡命者を多数含んでいたからである。
こうした日本の神話は、古代末期から中世にかけて、天皇崇拝を教義とする神道の体系化と並行して、「日本の正史」として教養の一部に組み込まれる。これが江戸時代中期ごろに「国学」として体系化され、普及してゆく。
日本史は戦国大名や幕末の志士だけを見ていたのでは分からない。思想の系譜を批判的に見ることも大変重要。
@lematin ほんとにね。その辺、水戸国学のことをちゃんと批判的に理解しといた方がいいですよね。
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