@lematin ちなみに社会学の皆さんは小田亮さんの一連の議論て読まれてます?
@goyou 学会をサボって大分になるので、「みなさん」がどうかはよくわからないですが、少なくとも僕は読んでません…
@lematin 文化人類学の人なんですけど、1990年代からずっとレヴィ=ストロースの真正性の水準という概念を使って文化相対主義とか社会構成主義を批判的に再構築しようとしててエキサイティングなのでおすすめです。
@goyou このスケッチからもその片鱗は伝わってきますね!
https://www.minpaku.ac.jp/sites/default/files/research/activity/publication/periodical/tsushin/pdf/tsushin133-03.pdf
ただ、そうですね、最近、厚東洋輔が『社会的なものの歴史』で書いているのですが、社会学者というのはあるステージから「降りて」しまった人たちなのだ、という自己定義があって、僕はそこに共感する部分があります(厚東が意識しているのはマルクス主義のことなのですが、この場合「真正性」180度違いながら、社会学から見ると重なっている部分があるように思います)。
なんというか、フィクションとしての「社会」に立脚しつつ、自らそれを解体するというような、そんな営為をふと妄想したりします。
@lematin そのへん、ラカン派の臨床社会学の立場からアンソニー・ギデンズの再帰的自己に恒常性を対立軸に置いた樫村愛子2008にレヴィ=ストロースの真正性の水準を掛け合わせて二重社会論に発展させてたんですよね。そこの話が変に文化人類学と社会学の間で別れちゃってるような気がしてて。もう自分の属してる社会のことを内部からやるか、他の共同体を外部から見るかみたいなことは問題にならなくなってきてると思ってて。ステージから降りるなんてことの不可能性を認識しなきゃならないというか。