三月大歌舞伎第三部をみました。
『髑髏尼』の終わりかたがモヤモヤするとは耳にしていたけれど、モヤモヤどころか、あまりに救いがなくて落ち込んでしまいました。
『廓文章 吉田屋』が明るく、玉三郎丈の夕霧の美しさとたおやかさ、愛之助丈の愛らしいツッコロバシ振りに幾らか気を取り直したものの、どんより気分が後を引き家族に訝しがられる始末。
今朝起きたら夫に「昨夜はうなされていたけど大丈夫?」と言われて苦笑いしました。
ノートルダム ド パリのカジモドに想を得たと思われる鐘突男の哀れ、また常に"死"を抱きながら生きていた髑髏尼の虚しさ、何もかも超越して生きているような烏男、登場人物の誰もが重いものを背負い過ぎていて、みていて苦しくなるのでした。
玉三郎丈はなぜ今この演目を取り上げたのだろう、伺ってみたい気持ちです。