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一旦話が逸れるけれど、清水晶子さんらの書籍『ポリティカル・コレクトネスからどこへ』の中で、いわゆる「ポリコレ」登場の経緯が書かれていた。自分なりに要約すると「ポリティカル・コレクトネスを標榜する団体がどこかに登場したのでなく、世界的に広まりつつあった人権擁護/反差別の風潮(2017年に始まったMeToo運動や、BLMデモの再燃もその流れにあったと思われる)に対して、保守派が「ポリコレ」と揶揄したのが、ポリティカル・コレクトネスの誕生だった」ということ。つまりそもそもネガティブな意味合い、例えば「ポリコレ疲れ」や「ポリコレ棒」などと揶揄するために使われる言葉だった。
なので「ポリコレvs反ポリコレ」みたいな、どこかの集団vs集団の対立関係があったわけではなかった。
キリスト教界隈でしばしば見られる「保守vsリベラル」の対立について。
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そもそもリベラルが何を指すのか(どの団体なのか、どの属性の人たちなのかetc)よく分からなかった。そもそも「リベラル」と分かりやすくラベリングされた集団がどこかにいるのだろうか? 答えは否だと思う。一方で保守派は、ある程度輪郭がはっきりしていて、いわゆる福音派、聖霊派、カリスマ派、ペンテコステ派等の教会群や、その系統の教えを支持する単立教会群がそれに該当すると思う(もちろんその中にも様々なグラデーションがあり、個々人によっても考え方は違う)。
つまり保守派はある程度どこに属する人たちか分かるけれど、リベラルはそもそも特定の教派を指すものでなく、結局「どこ」の「誰」だかよく分からない、という状況があるように思う。
映画や小説をキリスト教視点で批評