「これもAである」と言い張ることで既存概念の認識を拡張する作法が身に沁み過ぎてしまっている
クラブは音楽を楽しむ場所だが設備だけ見るとかなり映画館に近いと思っていて、昨日の出演は合成音声に曲間でストーリーを語らせて40分の映画を上映するというコンセプトでの出演だった。
空間に人が立つ、ということのもつ意味の多様さみたいなものが好きで、omodakaのパフォーマンスとか、池田亮司とか、演奏や歌唱の有無にかかわらずその場に"いる"ということで生まれる何かしらの磁場のようなものに割と興味がある。逆にいるべき場所にいないことで生まれる磁場もあるということ。
誰がどう見てもDJしていない(本人が家で寝込んでいるため)状態でも工夫で体験設計ができるということを示せたとしたら嬉しい(むしろ今回のセットは前に立っていたら邪魔かと思って風邪引いてなくてもDJブースに立たない予定だった)
本物