昨日角川武蔵野ミュージアムに「はじめてのBL展」を観に行ったわけです。
やおい、BLというのも、勃興は作家個人の発信や同志によるマイナー雑誌、同人誌界と言ったアンダーグラウンドシーンなわけで、その後SNSみたいな個人の発する話題やレコメンドなんかで大きく広がったこととかあるわけでーー
その理由は色々あって、描きたいこと言いたいことがある有志を支えるプラットフォームがやはり有志によって自然発生的に作られて、そこで世代を重ねてさらに有志を増やした面が結構おおきい。
その様子を概観できる展示ではあった(年表やコミケカタログのCP統計とか)
展示に、こうした史観提示があったわけじゃなくて、先人の業績を現物掲示で見せるものでした。絵柄や文章スタイルは流行り廃りが激しく、一目でそれが古いものなのはわかるし、先人に感謝みたいな感想もよく見かけた。
私は、けっこうな幼少時から漫画のファンクラブ会誌の同人誌とか、ミニコミやテープトレーディングで情報や音源をやりとりするインディロックとかで育った子供で、のちに網野本で日本史に興味を持ったのも手伝ってか、こういう趣味の領域の自前で勝手に規模を膨らませていく場の話みたいなものは今も割に気になる。
現代、唯物論史学は史料誤解の元凶とされて怒られがちだが、網野も一緒くたにして怒らないでほしい。
そもそも元からいる多様な人間、悪党が自由に動いて、アンダーグラウンドシーンが発達し、後醍醐天皇のようなメジャー媒体が掬い上げブレイクさせる、今にも通じる現象を、歴史の中から見つけてきた偉人だから。
英米(あと日本の一部も)のインディロックやファンフィク界は、自分たちのシーンは情報民主主義によっていると自覚してるのが一般的で、こういう姿勢とSNSやかつてのGoogleの情報フリー化方針のような極左志向はけっこうつながっていて、Twitterはそういうのに適した場だった。