ニューズウィークはリンク張らない事にしているのだけど、「ここがヘンだよ日本の永住権...エリート外国人には「踏み台」に使われ、非エリートには差別的」という記事、現制度も改定案も問題が多いし差別的であるというのはその通りだし、扱いに差が出すのは問題というのはそうだけど、ステップアップして海外に行く事をネガティブに指摘するのはどうなのか。
本来人間は行きたいとこに行ってやりたいことやって生活するべきなのであるから、当然ステップアップして他のとこへ行くのも有りだし、留まるのも有り。それが所謂高度人材であっても。この「高度人材」という言い方自体がもう気に入らないが。制度としてそうあるべきって話なのでは。そこは重要で、それが抜けているとこういう感じの相容れない感が半端なくなる。
もっと言えば、日本国籍者だって地元から中央行ってステップアップしてく奴もいれば、そうしないヤツもいる。行けるのに行かないヤツもいれば。行けないヤツもいる。行って戻ってくるヤツもいる。だからなんだと言うのか。行くヤツはふてえ野郎なのか。
それが問題なのではなく、本来はどっちでもやっていける事が重要なのではと思う。
此の歳になっても毎日新しく知ることが多く、少々大袈裟ではありますが、そんな時には「生きていて良かった!」と思えるのでございます。
マス目入り原稿用紙には随分とお世話になったものですが、それが尾崎紅葉の発案であったとは寡聞にして知りませんでした。
原稿は打つものになって久しいのですが、マス目の原稿用紙を前にして万年筆を持つと、日頃の猫背がピンと伸びるような気がします。
日本語ワープロが出始まった頃には個人で「書く文章」と「打つ文章」に違いが出るかどうかの論争(というほどでもありませんが)があったようにも記憶しておりますが、どのように決着したのかは失念してしまいました。
どだい結論の出る問題でもありませんので、例によっておそらく皆さん飽きてグズグズになって消えたのだろうとは思います。
どんな問題でも本邦はそういうことが多いような気がします。国民性なのでしょうか…。
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「マス目入り」は尾崎紅葉の提案だった 原稿用紙発祥「相馬屋源四郎商店」<都の100年企業>:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/332107
「式」と名の付くものも大概疲れる。
QT: https://fedibird.com/@falco_p1976/112575044355500783 [参照]
学校の先生になるモチベーションが高い人は多分学校が楽しかった人だろうと思う
逆に、学校が楽しくなかった人は先生になりたいなんて思えないだろうから、学校のシステム面の問題がいつまで経っても解決されない
そんな中でも、昔は学校の先生になるなら奨学金の返還が免除になっていたんだね
これは結構大きいと思う
https://www.jasso.go.jp/shogakukin/henkan/menjo/tokubetu_menjo/tebiki_menjyo/about.html
21世紀の分裂病質人格障害者