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昨日赤本のステップ6,7を読んで、自分は欠点を消し去ってくれと神様にただ祈っているだけなのでは?と感じました。
祈ってるだけではダメなんだと2つの書籍に言われこれはいかんとやっと思いました。

例えば
①やるべき仕事をサボってしまうのは欠点(怠惰)による行動だと思い、その欠点をどうにかしてほしいと神に祈ります。
②やらなきゃいけないのは分かっているので神の意志は「やれ」なんだと感じてやろうとします。
③結果、出来なくて自己憐憫へ(いつものパターン)。

これだと今までの自分と全く変わらないなと思いました。祈った結果だから仕方ないとさえ思うので昔よりタチが悪いかもしれません。
自分のやれる範囲のこと(何のご飯を食べるか選択する 等)は懸命にやって、結果を祈るということが出来ていないなと思いました。
私はこのままだと祈るだけで神にステップを踏ませようとしている気がします。

上の文章を朝から長文LINEでスポンサーにぶつけてきました。
今の自分の理解ではこうなのだが、この考えは自分の役に立っていないので捨てなきゃいけない。
そして、自己流でやろうとしてる感も否めない。

昨日のミーティングのテーマが「祈りと神頼みの差を感じますか?」で、自分がやっていたのは祈りではなく神頼みだったことがわかりました。

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