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宗教生活も政治的態度も、ものの売り買いにおおむね置き換え可能にな またこの話? よくないよ

お散歩 空が紫っぽいグレーでいい感じだった

カレーにらっきょうや福神漬けを添えようと思う感性、絶対今だと出てこない 身近で一世紀分の時間の厚みを感じられるのここかも

自分で自分の機嫌を取るという態度は、場を円滑に回すのに必要なスキルなのはたしかだが 他人との接触面をなめらかにするって効能は副次的なもので、本来の目的はどっちかといえばZENに近いのでは 一種の修業のようにも見えますよ

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悪い天気にこそ笑顔を、というのは身ひとつで実践できる幸福論以上でも以下でもない その人の居直りだったり覚悟だったりするだけだから、別に規範じゃない

負のエントロピー食べ食べ委員会

夏のボヤボヤした感じの方が、生きものとして生きてるリアリティは感じられるのかもしれないな いまは秩序だって結束してるけど、ああも暑いと無秩序に身体が綻びだすのもあり得る話だし、だったら私!という人称が身体を貫いてると思えていることの方が不自然だし このアカウントの発言内容ももういよいよだな

夏の間は全部がボヤボヤしているし、夏の時期を振り返ってみたときも、何だか遠さがあって良いんだよね 夏ほどじゃないけど春もそう 冬はひたすらずっと現実が続く感じ 秋はまるでダメ

ずっと冬嫌いって思ってたけど、本当に嫌いなのって秋かも

あらかじめ与えられた不安が心の層の下の方〜に横たわり続けている 原因とか無いから解消しようがない 普段は無視してやり過ごしてるけど、時期によってはぐんと押し上げてきて辛いのだ これが本来だって思えてくるところも含めて辛い そんなことないのにねー

季節の変わり目、夏→秋が1番嫌かも!!!!!悲しい!!!寂しい!!!

何はともあれ、手元にあるものでどうにかしなくちゃいけないんじゃ

若いリベラルな人のどことなくツルッとした感じは、どの時代でも似通ったものなのかな 私も大概ツルツルしているだろう

世を儚みだすとこんな調子になるな、いつも

みんながそれぞれの無菌室にいるイメージ 心の中にそういう場所はあっていいと思うけどね 他人がめちゃくちゃたくさんいる世界で保つべき無関心さって、どっちかと言えば、満員電車で人の肩が触れる不快感を押し殺すようなものだったはずなんじゃ…と思ったりもする

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世の中には色んな人がいる(と了解されるようになった)ので、逆説的にある程度他人を無視しないと待ち回らなくなってしまった だから無関心でいられるシステムを採択するのはまあ理にかなってはいるんだけど 他人への免疫力が全体として落ちてきてると感じる… 自分もそうだし、周囲にいる人も、社会全体としても…

ここで何回か言ってる気がするけど、多様性、と口に出すとき想定されるのが一個人格の集まりじゃなく、どこまでも客体的なシステムであるケースは本当に多いと感じる

精神的に自立した人間同士が節度ある関わりあいをするのが一般的には良いとされてて、私もほとんど同意するところだけど、この規範が強化されすぎると誰も誰とも関わらなくなるよね 人間誰しも未熟なところはあるわけだから 一旦未熟さを飲み込んで、大人をやる、できることはやってみるって腹を括る姿勢に、わたくしは成熟というものを見て取っています…

自分のテリトリーの保守保全だけし続けること、つまり誰も選ばないことってわりと誰でもできるんだよね 本当に意思の力が必要なのは他人を選び取ることだなーというのが近年の私の考え

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他人を選び取ることって、その責任を引き受けること、身を削ること、何がしかの覚悟や居直りが必要なことなんだってピンドラを見て学んだ ピンドラを見てだいぶ人間の心が育った感じがします

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