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全員とちょっとずつ合わないから、メチャクチャ嫌いって人が人生で出現しにくい

なんていうか 私に対するイメージ・そう思いたいという像が完全に固まってて、かつ自分の領域から出るつもりが一切ないって人と話すのは難しいと感じる

ツルツルのパスタを生ゴミ袋に入れるのほんまに悲しい こんなに悲しいことってないかも

ショック!茹でたパスタが8割シンクに流れた

「輝いたのは鏡でも太陽でもなくて君だと気付いたときから」って歌詞、すごない?

演出がかっこいい映画を進んでみるし、パターンや法則性を見つけるのはたぶん得意な方なので、演出の意図を自分なりに整理するのもある程度できるけど、自分自身に還元される感覚が脳トレの域を出ないことも多くて、私はいったい何の作業をしてるんだと思うことある

親密度がバラバラの人たちが一堂に会してるやつがすげえ苦手なんだけど、得意な人もそんなにいないと思うから気にしなくてもいい みんなで少しずつ対人関係への苦手意識を分け合って失敗しましょうよ 私たち頑張りましょうね

もう私はパターンで会話をするしかないなと気付きはじめている 今後は人ではなくシチュエーションに焦点を当ててパターンを学習した方が覚える数少なくていい

話題の概要説明に大半の時間を費やす、講和みたいな形式の方が面白いシーンもあるだろうし、広がらなさそうだなと思う話題をほどほどに切り上げるのも大事な気がするが まあ仲良くなりかけぐらいの人たちでやる飲み会では上に書いたことを気をつけていればいいんじゃないか 多分…

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私がよくやってた失敗は、イントロをバカほど冗長にしたり、イントロに過ぎないのに話全体が完結したと見做してそのまま放ってしまったり、話題のずらし方が大幅すぎて相手のターンを終わらせてしまったり…とかな気がする

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会話にはターンや持ち時間があること、それぞれの持ち時間におけるイントロ部分はそんなに長くないこと、自分のターンに引き戻さない方法で(つまり相手にターンを引き渡したまままで)話題の位置を少しずらす=イントロの続きを話せる流れを作ると喜ばれることがわかった

会話ってどうやって運べばいいのか学びたかったので、昨日の飲み会は頭の中で議事録ノートつける感じでのぞんだ

自分が何らかの作品の話題を出すとき、作品そのものの話をしたいのか、作品を通して別の何かの話をしたいのかは最初にあたりをつけている この山張りは他人に対してもやる 会話の目的が変わってくるから

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自分の経験をエビデンスにして作品を読み解く人のことは好ましく思うが、おそらく元から自分の話をするのが目的な人とは気が合わない てか作品ベースでは話ができないと思う 内容に幅が出ないので

忘却バッテリー、程よく垢ぬけていない平成の味がする これはこれで良いぜ

こういう感じで世代間の語彙がなんとなく重ならなくなっていくのかなと思った

「イケメン」や「モテ」は平成すぎるので使いたくない かといって「メロい」はもう自分が使う感じの言葉じゃないと直感している 20代半ば、夏

不確かであることが、そのまま不確かさとして映し出されること、あたりまえなようだけど、映像媒体でここまで納得できたことが今まであんまなかったのよ

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