社会人向けの習い事やスクールは教育界とサービス業界の狭間にあるため、生徒の歓心を買うことがどうしても重要項目にくい込んできがちな印象がある。
趣味のお稽古ごと的な要素が薄く、実務的側面が強いコースほど接待要素は薄まる傾向にある。具体的には、何としてもこの資格に合格させて実績を叩き出さなくてはならない、とか、門戸を叩いた幾多の生徒のうち実用に耐えうる原石を見つけなくてはならない、というようなミッションが講師側にある場合。
しかし、それも行き過ぎると別の問題に発展する。例えば、教室内では講師側の意向や価値観がすべてとされ、度を越した緊張感が生徒に走る。外界の倫理観とはかけ離れた言動を講師が放つ例もある。ワンマン経営の教室や、事務方がうまく機能していないスクールほど生徒の意見が反映されづらく、そういう状況になりやすいのではないだろうか。
……生徒である大人はなぜそれに耐えてるのか?というと、たいてい「でも厳しいぶん実力はつくから」とかが答えなんだけど、厳しい指導と加虐的な接し方は別だし、お金(しかもたいていある程度まとまった額)で嫌な体験を買うのもおかしな話だし。いまはリモートも広まって選択肢の幅も増えたんだから、意欲のある人間がいい塩梅の場をみつけて好きなことを追求できますように、と割と願ってる。