だもんで、当時「タイ米は不味い」と言ったのが誰だったのかというのは少し気になっている。
現に余ってしまったわけだから、日本人の食生活がタイ米を受け入れられなかったのは確かなんだけど、タイ米が食べにくい理由も知られてはいたわけで。
これは勝手な想像だけど、タイ米しか仕入れられなかった定食屋がやむを得ず和定食にタイ米を使い、その辺の事情を汲まない客が「不味い」と評価したとか。
あるいは家族が栄養バランスを考えてやむなくタイ米ご飯と焼き魚と味噌汁を作ったのを、その葛藤を見てないから「今日の飯は不味い」と言い放ったとか。
考えていると、「不味い」と言う人の人物像が固定化してしまいそうで、それも何だかなあと思って勝手な想像を打ち切るのである。
当時の雜誌とか見ればいいのかもね。
平成のコメ騒動のとき小学生だったけど、「タイ米はカレーやチャーハンにすると美味しい」というのは新聞の生活欄や子供向けの読み物でも盛んに言われていたので、子供でも知っていた。
ただカレーやチャーハンは味噌汁や焼き魚や煮浸しと一緒に食べるわけにはいかないため、和食を中心に栄養バランスを考えるのに慣れた人は、やむなくタイ米と和食を合わせざるを得なかった。
「なら栄養を和食に依存しなければいいじゃん」というのは全くその通りで、皆がコメ騒動から学習した結果が「日本人のコメ離れ」である。
食事は毎日のことだから、日ごろ作り慣れていないと非常時にも急に対応できないからね。
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