「正しくあろうとする者は潔白であれ」と言いたいのではなく、そもそも人に善も悪もなく、むしろ間違えた行いをしても別の誰かが指摘すればそれで大丈夫なように批判はあるのに、実際には、批判を受けても立ち止まり改める人というのがごくごくごく少数であるために、人ごと避けるしかないんだよなという……
ふと、差別について真剣に考え始めてからのわずかな年月を振り返って思う
そういう意味では、宇多田ヒカルがトランスの俳優について「素朴」な疑問を投げかけた後、リプライで正しい答えを聞いて「そもそもここは“straight”って言うべきじゃないんだね、ありがとう」と考えを改められる人だったのはまだ幸運だった……プロモとかでNGなのとかは未だにあるけど、トランスヘイターになってたら自分的にもうレッドカードだったので
人には「差別する人」と「差別される人」ではなく、「批判されて立ち止まれる人」と「そうでない人」しかいないと数年前から思ってる。今でも考えは変わってない
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