言葉のあやだったとしても、AROやACEのあり方を「引き算」と表現するのは、当事者としては微妙に感じる。>BT
Aロマンティック・Aセクシュアルスペクトラム上にいる人たちは、あるべきものが「ない」と理解されることが多いけど、むしろわたしたちの視座からすれば、恋愛や性愛がなくても人生は「完全」なので。
Alloロマ・Alloセク(AROACE以外の「ふつう」に恋愛やセックスをする人たち)の世界は、むしろ余計な「+α」を求めてるように見える。
AROACEの観点から解体すべきものとして真っ先に異性愛規範が挙がるのは完全に同意だけど、同時にセクシュアルマイノリティであっても、Alloロマ・Alloセク(ゲイ・レズビアン・バイセクシュアル・パンセクシュアル)の人たちはAROやACEに比べてマジョリティであることは忘れないでほしい。
「LOVE IS LOVE」というスローガンに、恋愛や性愛を前提としない「愛」は含まれているか。
クィアコミュニティのなかでさえも、恋愛やセックスが自明視される風潮があるために疎外感を感じるAROやACEは多い。
周司あきらさん、「AロマンティックやAセクシュアルという『引き算を行う』とLGB表記ができなくなる」とか、スプリット・アトラクション・モデル※に対して否定的なことを言っていて、非常にモヤついた。
それに対して違うんじゃないのって言う人もほとんど見かけなかったのが余計、今でもお名前見かけるたびモヤモヤした気持ちになる。
https://mstdn.jp/@Akira_Shuji/111200584343866800
「引き算」をして遊ぶ思考実験の道具ではなく、「Aロマンティック」も「Aセクシュアル」もそれぞれを分けて考える考え方も、それがあることでより本来の生き方ができるという人たちがいるんです。
必要ないならないでべつに使わなくていいんですよ。
それを持ち込んだらクィアコミュニティは崩壊してしまうとでも思ってる?
上のツリーで、「AロマンティックAセクシュアル」という主語で話してしまっているのだけど、AロマAセクでも誰かとパートナーシップをもったり、結婚・育児を望んだりする人、実際に実践している人はいます。
AロマンティックAセクシュアルスペクトラムの生き方は一様ではない。
ただ、恋愛・結婚(ほとんどの場合異性愛・異性婚)が当然視・自明視される「恋愛伴侶規範(アマトノーマティヴィティ)」が、AロマンティックAセクシュアル・スペクトラムのコミュニティにとって大きなテーマ、かつ抵抗すべき規範であることは間違いない。
そしてこの規範が、当事者以外の人々の生き方を縛り、狭めていることも
なぜかBTされているので補足すると上記の話、これ↓を受けてのものです
https://fedibird.com/@cutmr/111577835490679327 [参照]