そういえば #Whitelotus のS1を見終わって、鑑賞後にすごく考え込んでしまって、ちょっとその気持ちの整理をまとめようと思います。

最近白人特権について色々考えることがあって、この物語が描く特権層と搾取される側の社会構造や心の動きがすごくズキッときたというか…でもなんとも言えない何か言いたいけど言葉にできない感覚というものが残った。

その後、Netflixの"Hello white privilege it's me Chelsea"というドキュメンタリーを観て、なんとなくその正体が分かったというか…。でもまだ言語化出来ない。

わたしも限りなく特権層で、白人特権にとても近い社会生活を送っている自覚があって、でも一方でアジア人で移民でもあって、どう、そういうラベリングを落とし込んで行けばいいのか、インターセクショナリティの視点をどう考えて行けばいいのかな、とか。ずっとぐるぐる頭を回ってて、でも、それが区別ではっきり出来るものではなくて、グラデーションみたいなスペクトラムの上に誰もがいるのかなと思うと少ししっくりきた。今その辺の段階。

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@bunkaiwa グラデーションのスペクトラムの上のどこかにそれぞれがいる、それは私も思います😊人間関係や対話の中で、そんな事も意識できると、お互い理解しやすくなるかもしれないですね。

なんとなく全てがカテゴリ化されているような気がして、そういう区切りの中で語られるレイシズムの議論に最近すごく違和感を感じていたんです。ただ、 Chelseaのドキュメンタリーの中で、W. Kamau Bellが、「社会構造上の人種差別問題が存在していることを、お気持ちじゃなくてデータに表れていることを説明しなくてはいけない」って言ってたのがすごくしっくりきたんです。

ただそうなると、わたし自身はその議論上には含まれていない存在に感じたというか、ますます自分の立場がわからなくなったというか…。そんな感じで言語化できず悶々としてた感じです😅
でもそう考えると、グラデーションのスペクトラムの上を浮遊してる感じが、やっぱり一番しっくりくるのかもしれません。相手もそうだと思うと、お互い理解しよう、という好奇心や共感力が生まれる気がします。

@bunkaiwa
確かにカテゴライズされた議論より、やっぱり構造について、データで示した方がいいですよね。そこを見ないとなかなか社会は変わらないかなとは思うから。
アメリカにある構造の中の差別は日本社会にもかなりあって、さらに植民地の歴史をみると、その中で今まで起こってきた構造もあるから、それを見ると自分の立ち位置も、比較的明確になるなーと思ってます。なので、アメリカだけの文脈だけではなくて、世界の植民地主義から来る作られてきた道筋も意識してます。そこにスペクトラムの視点を入れると、なんかしっくり私はいきますね。

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