@bunkaiwa
確かにカテゴライズされた議論より、やっぱり構造について、データで示した方がいいですよね。そこを見ないとなかなか社会は変わらないかなとは思うから。
アメリカにある構造の中の差別は日本社会にもかなりあって、さらに植民地の歴史をみると、その中で今まで起こってきた構造もあるから、それを見ると自分の立ち位置も、比較的明確になるなーと思ってます。なので、アメリカだけの文脈だけではなくて、世界の植民地主義から来る作られてきた道筋も意識してます。そこにスペクトラムの視点を入れると、なんかしっくり私はいきますね。
@creativepath なんとなく全てがカテゴリ化されているような気がして、そういう区切りの中で語られるレイシズムの議論に最近すごく違和感を感じていたんです。ただ、 Chelseaのドキュメンタリーの中で、W. Kamau Bellが、「社会構造上の人種差別問題が存在していることを、お気持ちじゃなくてデータに表れていることを説明しなくてはいけない」って言ってたのがすごくしっくりきたんです。
ただそうなると、わたし自身はその議論上には含まれていない存在に感じたというか、ますます自分の立場がわからなくなったというか…。そんな感じで言語化できず悶々としてた感じです😅
でもそう考えると、グラデーションのスペクトラムの上を浮遊してる感じが、やっぱり一番しっくりくるのかもしれません。相手もそうだと思うと、お互い理解しよう、という好奇心や共感力が生まれる気がします。